紺色の夜空を見上げた。
晴れた空の薄い雲間から、ちかちかと星が瞬いている。
は、ほうっとため息をついた。
「どうした?疲れた?」
ハボックが何気なく聞いてくる。
「ううん。なんでもないよ。・・・送ってくれてありがとう。」
アパートの入り口の階段の前で立ち止まる。
「階段、つらいんじゃないか?」
普段なら気にしない段差だが、明らかに負傷した足では辛い。
だが、は明るく請け負った。
「大丈夫、もうここまできたら脱いじゃうから」
言うが早いか、はハボックに身体を支えてもらったまま、片膝を折って踵を上にした。
ヒールにひょいと手を伸ばし、両方の靴を脱いだら踵を揃えて片手にひっかける。
シフォンのスカートが、の動きに合わせてふんわりと舞った。
ざらりとしたコンクリートの階段が、ひんやり心地良い。
開放された足先が、待ってましたとばかりに元気になった。
「ここで脱ぐかよ」
あきれたような、がっかりしたような、面白がっているような、
なんとも言えない表情でハボックが言った。
「ごめんね。靴脱いで歩いたら怪我するかと思って、頼っちゃった」
まったく悪びれずに、にっこりとが言った。
「いいよ、別に。そのつもりで来たんだし」
にんまりと返すハボックは、にとっては不意打ちだった。
迎えに来たなんて、絶対に認めないと思ったのに。
「・・・やっぱり、迎えに来るためだけに、あそこにいたの?」
ハボックはの驚いた表情に満足したようにニヤニヤして答えない。
「こんな遅い時間に、わざわざ出てきてくれたんだ・・・」
じんわりとした気持ちを打ち明けるに
「なーにを今更驚いてんの?」
面白がるように尋ねてくる態度も、いつもどおり。
「だって、迎えに来たなんて、認めないと思ってたから。びっくりした」
「それ以外に、あんなところにいる理由ないでしょ」
「そうよね。そう思ったけど・・・・ありがとう」
「嬉しい?」
「うん」
どこまで本気で言ってるのかワカラナイ言葉にも、は真面目に返す。
そんなにハボックは満足そうに微笑んだ。
「・・・何にも聞かないんだね」
ふと漏らした言葉に、ハボックが引っかかったような顔をした。
だが、何を?とも聞かず、当たり前のように返事をかえす。
「どうせ、そんなことだろうと思ってたし」
「え?」
瞬きをして見上げるに、無表情でハボックが言った。
「告白された?・・・どうせ、断ったんだろ」
風がそよと吹いてさわさわと葉がすれる。
街灯より、すっかり夜の闇に慣れた目で、はハボックの顔を凝視する。
複雑な表情。真面目な顔。それとも笑っているのか。
「・・・それって、経験の差?」
見抜けるハボックと、鈍い。
だが、経験がなければ、見抜けるものではない。
今のになら、それが分かる。
それは、の知らないハボックが存在するということ。
――――それも、の知らない女の人の数だけ。
それは、誰をとっても、今の自分は敵わない存在に思えた。
「なんだ妬いてんの?
本当は今日のデートも、俺じゃなくて寂しかったんだろ?」
はは、と笑ってからかう口調は、いつものハボックで。
質問のかわし方も、大人の心得のよう。
なんだか悲しくなってはうつむいた。
「どーだ図星だろ?・・・・・・っておい、冗談だって」
の様子にあわててハボックはからかうのをやめた。
「何へこんでるんだよ。しょうがねえな、お兄さんが慰めてやるから」
「ううん。大丈夫。ありがとう」
は無理矢理に微笑んでみせた。
せっかくの親切なのに、
自分のつまらない考えで台無しにしたくなかった。
「無理すんなよ。大丈夫だって。
のこと好きな奴が、振られたくらいでどうにかなるもんか。気にすることない」
ハボックは、が落ち込んだ理由を、初めて人をふったからと思っている。
が優しいから、そのことで傷ついたと考えて。
そう考えるハボックこそ、優しくて大きい。
は、その勘違いに甘えることにした。
からかいの言葉の中で
の気持ちの真実を言い当てたなんて、
ハボックは、気付いてないのかもしれない。
―――――それとも気付いているのだろうか?
ハボックと別れて、階段をのぼり
アパートの自分の部屋へ帰る。
窓をのぞくと、ハボックが窓を見上げていた。
明かりがついた部屋に見当をつけたのだ。
の無事を確認して、窓に向かって手を振っている。
手を振り返すと、安心したように背をむけて歩き出す。
幼馴染で、お兄さんのように面倒をみてくれて
それは幼い頃から続いている関係。
それでも
帰路につく背中が闇に消えてしまうまで
は窓辺から離れられなかった。
