君に告げる1






戦場に立つのは、人生で初めての経験だった。


かつては人の営みがあったかのように、荒野のスキマに芋の蔓が生えている。
きっと、ここは畑だった。


平和に暮らしていただろう家族は、どこへ行ったのか。
あるいは、もういないのかもしれない。


ロイは、土くれに手を伸ばす。
ただのグラウンドのようにぺしゃんこになった大地。
土は、握りつぶすと細かく砕けて手からこぼれおちた。


「少佐、トリアージが終わったわ」
背後から声がした。ロイが振り向きながら問いただす。
「トリアージ?」
聞きなれない言葉だ。


「負傷者を重症度や緊急性で選別して搬送先に送ったって言ったのよ」
「医学分野の専門用語はわからない」


ロイのそばにいるのは、妙齢の美人女医。
小さな頭に長い手足、すらりと高い背は、まるでモデルのよう。
快活な雰囲気で、男ばかりの軍隊でも物怖じしない。


不思議な女だ、とロイ・マスタングは思う。


。ひとつ聞きたいんだが」
「なあに?」
「グラマン准将の愛人て噂は本当かい?」
「私をくどきたいの、少佐さん?」
からからと笑う。
まるで意にも介さない。


彼女の栗色の髪の毛が、夕日に透けてハチミツのような甘い色で
埃にまみれていても気にしない、この手で触りたいと本気で考えてしまう。


「戻ろうよ。わざわざ呼びに来たんだからね。
日が落ちたら、陣地近くのこの辺だって充分危ないよ」


土埃と血で汚れた白衣を翻し、汚れた靴で陣営に戻る姿を
ロイは眺めて目に焼き付けた。



今度はロイが背後から呼びかける。
「何?」
立ち止まるが、振り返ってロイを見る。


彼女の黒い大きな瞳。長い睫毛。
おでこにはりついた前髪でさえ綺麗に見える。
もうこれは病としか思えない。


「私に口説かれるのはいやかい?」
「嬉しい。少佐さん、男前だから」


なんてことないような口ぶり。
これはどう解釈すればいい?


「口説かれてくれるのかい?」
「いいよ。私、あなたみたいな人、好きよ」


あまりに屈託のないストレートな物言いに、ロイは目を丸くする。


「きみは・・・・誰にでもこういうことを言うのか?」
「誰にでもじゃないよ」
「グラマン准将の噂は・・・」
「本当って言ったら、物怖じしてあきらめる?
軍人さんは皆、噂を信じて私に手を出さないもんね」



そうでなければ、戦場で女性が何もなくいられるわけはない。
猛りきった軍人は、見境などないのだから。


「ココに来た女性士官は、かわいそうよね。
よっぽど強くてしっかりしてるか、強い後ろ盾でもなきゃいられない。
それこそ娼婦より酷い扱いになりかねない」


独り言のようにつぶやく。
言葉は風に乗って、ロイの耳まで届いていた。


「ま、娼婦より愛人のほうがマシって理屈もないか」


寂しそうに笑う。噂は、本当かもしれない。


「・・・・・なぜこんな戦場に来た?」
「命令がきたからよ」


さらりと答える声がよどみない。


「前は研究所にいたと聞いた」
「そうよ」
「そんなところに入れるほどの秀才が、こんな辺境の戦地に?」
「あいにく、入りたいと望んだわけじゃなかったからね。
 サボタージュに近い研究の進み具合に、痺れを切らされたんでしょ」


だが、それが原因で戦地で悲惨な目にあってるのにも関わらず、
研究所を追い出されたことを後悔するそぶりもない。


ロイは最初から、この女は一筋縄ではいかないと思っていた。


ショックを受けて精神に支障をきたす大の男がいるくらいの戦場。
近くで爆音がし、大地が揺れて、土や、人が、簡単に形を変えて死んでしまう。
そんな中で、確かな精神力を保ち、穏やかに士官を励まし、仕事に当たる。
そんなの姿に、ロイは強く惹かれたのだ。


「今もグラマン准将の恋人なら、私を振ってくれないと将来困る」
「障害は乗り越えてこその愛よ」


くすくすと笑う声に、ロイは困ったように微笑んだ。


「きみが、好きだよ」
「あたしも、少佐さん好きよ」


ゆっくりと重ねた唇は、土埃と汗の匂いがした。





「軍用車を用意して。直ちに現場へ向かいます」
「まだ戦況ははっきりしていない。今行くのは危険だ」
とっさにロイがかばう。だが、は平然と言ってのけた。


「落ち着いてからじゃ遅いのよ。生きてる人でも死んでしまうでしょ」


しょうがないから、ロイが運転を申し出た。
本当なら、国家錬金術師で少佐の立場ですることではない。
医者の運転手代わりなど。彼女は特別なのだ。


軍用車は、整備されていない土の上を走ると、とてつもなく揺れる。
何度も固いシートに腰を打ち付けられて、運転するのは正直しんどいとロイは思った。


「二人でドライブデートしてるみたいね」
けらけらと笑いながらが言う。


この揺れまくる車に乗りなれているのか、
戦場の悲惨な光景に慣れてしまったのか
は平然とした調子を崩さない。


「もうすぐつくよ」
「残念。ずっと二人で乗ってられたらいいのに」
「いい考えだ。だがこの車に乗るのは、もうゴメンだな。あまり快適とはいえない」
「わかった」
いたずらっぽくが微笑む。


「私に乗りたいんでしょ?快適かどうか試してみる?」


キスしか交わしたことのない恋人に、こんな台詞を言われるとは思ってなかったロイは、とっさに上手い切り返しが思いつかず、真顔で顔を赤らめた。


途端、がまたケラケラと笑い出す。
ロイは車を止めた。


「少佐さんは真面目なのね。かわいい・・・・んっ」


笑い声を止めるキス。
唇を塞がれて、は甘い声を出した。


「・・・・ついたぞ。くれぐれも気をつけるように」
「はあい。いってきます」


にっこり笑っては車を降りた。
キスひとつにも動じない。
そして、車を降りれば医者の顔なのだろう。


自分は、本当にと想いが通じているのだろうか?
ロイは少し不安になりながら、を追って車を降りた。






それから、が戦場に向かう度、ロイが車の運転をする姿が恒例になった。


噂は噂を呼んだ。
二人が付き合っているとか、ロイが将軍のご機嫌を取るためとか。


「何かと話題が尽きないねえ、少佐どの」
皮肉な口調でからかうのは、マース・ヒューズ。
同僚の、軍人だ。



「面白がるのはよしてくれ」
本気で不機嫌そうに、ロイが顔をしかめる。


「だけど、これで女軍医に手を出せる奴はいなくなったな」
「・・・・噂が、男を敬遠させていただろう、今までも」


そう思わなければ、考えすぎの虫が、余計な不安を運んでくる。
なのにあっさりとヒューズは言う。


「でも、近くにグラマン将軍がいるわけじゃないからな」
「だから、常に守ってくれる男が必要だとでも?」


そうだとしたら、自分こそいい面の皮だ。
想いが通じたと、思春期の少年のように一人で舞い上がって。


「なんだよ、ご機嫌ナナメだな・・・彼女に利用されてるって思ってるのか?」
「そういうわけじゃない・・・」
「そう思ってても、プライドが邪魔して言えないだろう」
「・・・・性格悪いぞ、お前」
「はは。そりゃ最大級の誉め言葉だな」
「誉めてない」


落ち込むロイに向かって、ヒューズはからかうように笑った。
噂をすれば影。けして静かではない足音がした。


「ああ疲れたぁ」
伸びをしながらが近づいてくる。
当然のようにロイの隣に腰を落とし、ロイにもたれかかってくる。


「・・・仕事、終わったのか?」
「うん・・・少し眠りたい・・・」


そう言うと、次の瞬間には、当たり前のように寝息をたてている。
ロイの肩で安心しきった寝顔は、吐息が顔にかかりそうなほど近くだ。


ようするに、ずっとこの調子だから、未だにの乗り心地は試してない。
キスだけなんて―――――この歳で、何とプラトニックな関係か。


「こんな姿勢で、よく眠れるな・・・」


半ばあきれてロイが言う。
しばらくそのままで寝顔を見ていたが、身体をずらして膝に頭をのせてやる。
は起きもせず、すやすやと静かな寝息をたてるだけだ。


「お熱いこって」
にやにやしながらヒューズが言う。


がもたれるのも自分だけの特権だと思えば、
利用されても構わないとさえ思ってしまう。惚れた弱みだ。


「彼女、お前の側でしか眠らないもんな」
ヒューズの言葉に、ロイは驚いた。


「・・・・なんだ、気付いてなかったのか」
ロイの表情で気付いたヒューズが、あきれたように言う。


「知らなかったよ・・・本当に、そうなのか?」
「そうさ。まあ、物騒だからなあ、軍隊ってのは。
 女に飢えた野郎ばかりで、酷い話だと若い兵隊さえ餌食にされるってよ」


ロイが唾を飲み込んだ。
そういう場所で、彼女は自分を守らなければいけないのか。

「・・・そうなってくると、ちゃんなんか危ないよな。
 軍人みたいに身を守るすべなんて習ってないし、よく今まで無事だったよ」

くうくうと眠り続ける恋人が、愛しく思えた。
誰の側でもなく、自分だけの側で、休息を得られるのなら、
それは何よりも特別な存在と思えたのだ。



「それはそうと・・・ちゃん呼ばわりは気に入らないな」
ロイが言うと、ヒューズは全く悪びれずに切り返した。
ちゃんと俺は、お友達だぞ」


目が点になるとは、このことだろう。
ロイはヒューズを凝視した。


「いったい、いつの間に・・・」
「お前らが付き合う前からだよ」
「気付かなかった・・・」
「そりゃそうだろ。お前がいないときに恋愛相談引き受けてたんだから」


は!?



思考回路が一瞬止まった。


「だーかーら、お前が好きだったんだよ、ちゃんも」
「・・・・・え?」
「俺が気付いてカマかけたら、驚いてた。
多分、自分からは認めなかったぞ、あの様子じゃ。
――――――――――――ロイ、俺様に感謝しろよ」


「お前・・・・・」
「ん?感謝して酒でも奢る気になったか?」
ヒューズはニヤニヤと身を乗り出す。
じいっとヒューズをみつめて、ロイはつぶやいた。


「本当に性格悪いな・・・」
「そりゃどーも」
「誉めてない」
ニカッと笑って悪びれないヒューズに、ロイはあきれた。


人の恋話を土足で踏み荒らしながら、それをなぜ早く言わないんだ!?
――――この男・・・・絶対楽しんでるに違いない・・・