2-6 記憶
落ちていく意識の中で、は記憶をたどる。
褐色の肌、赤い瞳、額の大きな傷・・・・あれは、誰?
地下に潜った男も、過去を反芻していた。
先ほど再会した黒髪の少女。
黒いコートに包まれて階級は分からなかった。
でも、彼女は国家錬金術師だ。きっとそうだ。
それだけの技術がある。ただの軍人であるわけがない。
実際は彼女がただの軍人であることを知らない男は、自分の考えを肯定する。
スカーは、地下水道を進みながら、彼女との出会いを思い出した。
あのとき、彼女は優しかった。
軍に属するような人間には、到底見えなかった。
スカーがセントラルで初めて国家錬金術師を殺したとき
まだ土地勘もなく、慣れない場所での仕事に、不覚にも軽傷を負った。
路地で人目を避けて動けないでいるところを、
見つけて声をかけてきたのがだった。
驚いたのは声をかけられたことばかりでなく、
困っている人間に対する素朴な親切。
不審な若い男を、自分たちの泊まる宿に運んだり
食事をもてなしたり、怪我の治療をしたり。
人との関わり合いが希薄な都会で、珍しいと思った。
そしたら、母親の検査のために田舎からきたばかりというので納得した。
少女の治療に目を見開いた。
治療の方法は、錬金術を応用していた。
それは一流の錬金術に匹敵するように思えた。
「何のための検査だ?」
不思議に思って聞いた。
彼女の技術なら、病院の検査より彼女の力でなんとかなりそうに思えた。
「新しい治療法を、ずっと探していて。それをできる先生をみつけたの。
検査の結果次第で、その治療が試せるかどうか分かるの」
すこしはにかみながら答える少女は、期待で紅潮した頬をしていた。
「今すぐ試せばいいものを」
「ダメよ。身体が弱ってる人には負担が大きいって。念のためだけど、
一般の検査機関の結果と照らし合わせて万全を期したほうがいって言われたの」
本当に、あと一息なの。
そう答える顔が誇らしげで、愛らしかった。
「この子には苦労ばかり・・・」
治療や準備に追われて疲れていたらしい少女が、
宿のソファにもたれて眠ってしまうと、母親がポツリと言った。
耳を傾けると、母親はさびしそうに言葉を続けた。
「女の子らしいことは何もかもあきらめて、男の子みたいな格好で。
全部私と生活のために、自分の身を削るように働いて、勉強して・・・」
何も知らない少女は、すやすやと心地よさそうに寝息をたてている。
通りすがりの自分などに寝床を譲って、ソファなどに甘んじてるのに
まったく気にしていないような安らかな寝顔。
「私の身体が治ったら・・・そうね。可愛い服に、髪飾りで装って。
靴、コサージュ、お洒落な鞄。それで、お化粧してお茶会に行ったり」
きっと母親は、少女時代にそういう生活をしていたのだろう。
育ちの良い家庭の出のようだ、とスカーは思った。
幸せそうに見える母と娘。
生活に苦労しているようなすさんだ雰囲気はない。
だが、貧しい身なり、細い身体、荒れた手が、それまでの苦労を物語る。
彼女たちに危害を加えることも迷惑になることも望まなかった。
だから何も言わずにいなくなることに決めた。
――――――――――思い出した・・・。
は記憶をたどって、あの夜に行き着いた。
初めてのセントラルの大きな病院の近くの宿で、怪我した男を助けた。
翌日、道端で拾った男は姿を消していた。
行方は、分からなかった。
だが、その日に事件は起きた。
男がいなくなったと気がついてすぐ。
まだ明け方と言える時間だった。
「昨日の人、目が覚めたらもういなくなっていたね」
母親と、そんな会話を交わしていた。
バン、と大きな音がして扉が開く。
音の方向に揃って視線を向ける母娘。
目の前には、見知らぬ男が複数いた。
――――――――思い出したくない記憶に、はぎゅっと目をつむる。
後で聞いたら強盗と言われた。
でも、本当は違う。
彼らは、イシュバール人を憎む過激派の末端連中。
イシュバール人を匿ったとわめき散らして、あっという間に・・・
目の前に飛び散る鮮血。
「おかあさんっ・・・・!!」
叫ぶは、身体を拘束されて駆け寄ることもできない。
「いやぁ!放して!!・・・誰か!」
もがくを、誰かが押さえ込む。
このあたりの記憶は、今なお鮮明には思い出せない。
だが、次の瞬間目にしたのは、昨日助けたイシュバール人の男。
名前を聞いても名乗らず、朝には姿を消していた、彼の姿だった。
を押さえ込む男を引き剥がす。
片手で、頭を軽々と掴んでいる。
イシュバール人の手の中で、ならず者の身体がはじけ飛ぶ。
飛散する肉片と血液とを目の当たりした。
は悲鳴をあげた。
でもその音は、まるで自分の声じゃないような、どこか他人事のような。
現実感など、どこにもなかった。
もしかしたら、少し気を失っていたのではないだろうか。
しっかりとした意識を取り戻したときはすでに、
ことはすべて終わり、憲兵や軍人に取り囲まれていた。
―――――――あの時の・・・イシュバール人の男の人・・・・
行きずりの、ただそれだけの関係で終わるはずだった人。
今また東部で再会しても、語り合う思い出すらないような。
こんな辛い関係になるなんて、出会ったときは想像もしなかった。
あの人は、何のために、この国にいるのだろう・・・・?
下水道は、小さな水音さえも響く。
そんななか、スカーはひとり歩き続けた。ひとりきりで、会話する相手もいない。
思考は、先ほど再会した少女を廻った。
あの不幸な因果関係。
「かわいそうな少女だ・・・」
自分に関わったばかりに、大事な肉親を失った。
あの時。
宿を出たものの、胸騒ぎがして宿に戻った。あれは虫の知らせだ。
「イシュバール人を匿いやがって!お前ら、アメストリス人の恥さらしだ!」
「何のことですか!?」
「しらばっくれてんじゃねえ!」
窓から洩れる会話を耳にする。思ったとおりだった。
しかも悪いことに、男たちは怒鳴り、その為に感情を一層高ぶらせている。
これは危ない・・・
そう思ったときに、銃声が鳴った。
悪い予感に胸騒ぎがしながら、階段をのぼった。
急いで部屋に飛び込む。
母親がベットで倒れこみ、血だらけになっていた。
少女は男に押さえ込まれ、あろうことか、乱暴をされそうになっているではないか。
スカーの憤怒は男たちに向けられた。
たがが二人の男が、過激派の端くれとしても、たいした存在ではない。
スカーがいなくなった隙をついて犯行に及んだのだ。
相手が女二人なら、容易と思ったに違いない。
だが、犯した罪は、途方もなく大きい。
名前も知らないアメストリス人の男を、スカーは容赦なく殺した。
少女は目の前で悲鳴を上げて、やがてこと切れたように意識を失った。
騒ぎをききつけて、人が注目しはじめていた。
少女の様子が気になるが、結末を見守ることはできない。
少なくとも、野蛮な男どもに汚されたり殺されたりする心配はなくなった。
そう考えて、スカーはその場を後にしたのだ。
親切に治療して匿ってくれた優しい母娘は、永遠に失われてしまった。
あの少女は、もう二度と自分に愛らしい笑顔を自分に向けることはないだろう。
覚悟をしたはずなのに
苦いものが胸いっぱいに広がり、スカーの心を締め付けた。
