2-7 居場所
目に映るのは白い壁と白いカーテン。
新品の綺麗な白ではない。布は少し黄ばんで見える。
だが、それは不潔なのではない。洗いすぎて傷んだのだ。
丁寧に整えられた医務室。
ハボックは、そっとカーテンに近付く。
静かにカーテンをめくり、ベットに横たわる幼馴染の顔を眺めた。
「まだ目は覚めないかね」
「大佐・・・」
様子を見に来たタイミングが同時だったようだ。
ハボックが振り返るとロイが立っていた。
ハボックは意外に思った。
仕事は忙しくて、合間を抜けるのは大変で・・・
――――――でもそれはきっとお互い様のはず。
「ショックが強かったようで、まだ青い顔をしています。病院に搬送しますか?」
医務官がメガネを掛け直しながら淡々と言った。
机に座って書き物をしていて、ハボックが来ても見向きもしなかった。
大佐のお出ましじゃ、そうもいかなかったのだろう。
それを知ってか知らずか、ロイは少し考えるように返事をした。
「・・・・そうだな、もう少し様子を見よう。
切羽詰った状態ではないのだろう?」
「ええそれはまあ。バイタルは正常ですし」
「バイタル?」
指示を与えたのはロイ。疑問の声を上げたのはハボック。
「バイタルは、生命に関わる状態かどうか、判断する材料ですよ」
医者が簡潔に言う。
「血圧や脈拍とかを調べて、異常がないってことだ」
ロイが後を続けるので、ハボックは仰天した。
「大佐は医療用語にも明るいんですか!?」
「そんな大げさなものではない。常識だ」
なんて嫌味ったらしい・・・とハボックは反感を覚えた。
せっかく意外な一面に感服したのに、台無しだ。
「オレ、仕事抜けてきてるんで戻ります」
ハボックが退室しようとすると、ロイが止めた。
「待ちたまえ。戻るって、現場に行くつもりだろう?」
「そりゃ・・・俺は机で考えるのより、現場のほうが仕事場ですよ」
何をいまさら分かりきったことを、とハボックは不思議に思う。
だが、ロイは淡々と言葉をつなぐ。
「頼むから、今回はここに残ってくれ。
現場にはブレダ少尉とホークアイ中尉がいるし、中央の派遣も来ているからな」
「いいっスけど・・・ここで俺ができる仕事って何ですかね」
特別に司令部に残すからには、何か理由があるのではないか?
大佐が与える仕事は、通常の仕事ばかりにとどまらない。
ロイの表情が、優しくなった。視線の先は、ハボックではない。
カーテンの、向こう側。
「目が覚めたとき、側にいてやればいい。・・・・幼馴染なんだろう?」
その思いが届いたかのように、ベットの中が小さく身じろぎした。
二人の男の視線が集中する中、ゆっくりと目が開く。
長いまつげが、ゆっくりとまばたきした。
大きな、黒目がちな瞳が、ぼんやりと天井を見上げている。
「・・・」
ハボックが声をかける。
視線が、声のほうへと向けられる。
瞳に、二人の男の姿が映る。ハボックと、ロイ。
「私・・・・・・?」
小さくつぶやく声。
「ここは医務室だ。気分はどうかね?」
大佐が穏やかに声を掛ける。
ぼんやりした表情は、まるで長い夢から覚めたばかりのよう。
何があったのか、まだ思い出せていない様子だ。
その表情が、徐々に覚醒していくのが分かる。
瞳に力が宿り、ハッキリ思い出したらしいは、身体を反射的に起こそうとした。
「私・・・!すみませんっ」
「まだ動くなって!」
無理に起きようとして傾いだ身体を、ハボックが支える。
弱ったは、あっけなくハボックの胸に身体をうずめる格好になった。
ロイは少し驚いたように目を見開いた。
が、何気なさを装うことに決めた。
幸い二人の背後にいるため、表情の変化には気付かれていない。
「心配しなくても大丈夫だから、身体をいたわりなさい。
ハボック少尉、落ち着くまでそばについてやるといい」
そう言い残してロイは背中を向けて医務室を後にした。
医務官は退室する大佐に礼をしたあと、机に向かって動かない。
ハボックが少尉の地位にいる軍人でも、彼にとっては下っ端同然らしい。
ハボックは、支えているが、かすかに震えているのが気になっていた。
ロイがいなくなったのは、幼馴染の様子を気遣うのに好都合。
耳元で、小さくささやく。
「、大丈夫か?」
腕の中のが、ハボックを見上げた。
心なしか不安そうな潤んだ瞳。
何かを話したそうな唇が震えている。
わななくように形作るものの、声は出てこない。
「どうした?」
やさしく促す。
「ジャン・・・・・」
震えている身体から、空気に溶けて消えそうなほど小さな声が聞こえた。
ハボックは耳を澄ます。
「今日会った人・・・知ってる人だったの・・・・・。私、思い出して・・・・」
それだけ言うと、は口をつぐんだ。
今日会った人。
それが誰を指すのか、ハボックは思い当たって思わずの身体を離した。
両手での両腕を掴んで、正面からを見つめる。
「・・・・本当か?」
言葉に、頷くをハボックはじっと見つめた。
大きな黒く深い瞳が、まっすぐ見つめ返す。
きれいな白い肌は心なしか青ざめて、黒い瞳は深い憂慮をのぞかせる。
寝起きでも変わらずに、の髪はさらさらと流れて、艶やかで真っ直ぐだ。
そんなを、綺麗だ、と思う余裕は少しだけ残っていた。
でもハボックは、事実がより衝撃的で重要だった。
でも、詳しく聞きたくても近くに医務官がいて、
はショックを引きずって言葉が出てこないように見える。
ハボックは途方にくれた。
頭脳向きじゃないのに、こういう難題をなぜ大佐は命じたのか。
見つめるしかできないハボックをそのままに、がベットから降りようとする。
「おい・・・」
「ごめん。仕事戻らなきゃ・・・」
の言葉にハボックは驚いた。真面目にもほどがある。
「無理すんなよ。まだ寝てたほうがいいんじゃねえか?」
「平気。無断で現場に行ったんだもの。いつまでも寝てられない・・・。もう大丈夫」
「バカ!!」
の生真面目な言葉に腹を立ててハボックはの身体を押し留めた。
今、身体より仕事を優先するなんて、頑張るところを間違ってる!
ついさっきふらついたばかりで、こんなに弱っているのに。
真剣なハボックの言葉にも、は耳を貸さない。
頑固なのは幼い頃から変わらない。
「バカじゃないもん。大丈夫って分かってるから戻るんだもん」
「じゃあ仕事に戻って、やっぱり気分が悪いなんて弱音ははくなよ」
「はかないもん」
の子供らしい意地っ張りに、ハボックがキレた。
「じゃあ勝手にしろ!人の気も知らないで、勝手に強情張って無理をして・・・
どうなっても知らないからな!!」
「分かった!大丈夫!」
(その気合の入れ方はどうなんだよ・・・)
怒ったのに、気合で返されてハボックは脱力した。
鈍いお姫様は、『人の気も知らないで』の台詞にも立派に素通りしてくれた。
つい口を滑らせたけど、けっこう重要発言だった。これは喜ぶべきものか?
怒るハボックの前で強がりに火がついたは、思ったよりしっかりとベットから身体を起こして立ち上がった。
「ジャン」
「・・・・なんだよ」
少し後ろを歩くハボックに振り返りもせずが聞く。
まだ具合の悪い顔をしているのを見られたくないのだ。
「今日会った男の人は、なんて言うの?何をした人?」
「知らねえのか?名前は不明、傷の男って意味で、スカーって呼ばれてる。
奴は、国家錬金術師連続殺人犯だ。、物騒な知人だな」
「そう・・・・」
ため息に似た声。
「どこに向かってるんだ?」
の向かう先がいつものオフィスとは違うような気がして、ハボックが聞いた。
「大佐のとこ。謝罪と、報告に」
執務室の扉をノックする。
「・です」
「入りたまえ」
部屋の中から、大佐の声がした。
が扉を開けた。
なんとなくついてきたハボックも、一緒に入室する。
執務室には、ヒューズ中佐とアームストロング少佐もいた。
セントラルの軍人まで同席していたとは思わず、ハボックは思わず身構える。
は、こんなギャラリーの揃った中で、平常心で報告できるのか?
にわかに心配になる。だが、大佐はにこやかに迎え入れた。
「ずいぶん早く戻ってきたね。目が覚めたばかりだろう?
もう少し休んでいたほうが・・・。ハボック少尉、君がついていながら」
「言ってもききゃしないんですよ」
『言われなくても』―――――そういわんばかりの苦渋の表情。
そんなハボックに、ロイは苦笑いする。
が上官に向かって頭を下げる。
「・・・・今日は、命令を聞かず勝手な行動を取って、申し訳ありませんでした」
「理由は?」
謝罪するに、叱責もなくロイが尋ねる。
「鋼の錬金術師が怪我を負ったと聞いて・・・・」
は一呼吸おいた。
怒られる理由は、次の台詞にあると理解していた。
「命令に背くと分かってましたが、殺人犯を軍が抑えてしまえば差し支えないと思い、
自分の判断で治療に向かいました。」
上官に逆らって行動するのは、重大な軍規に違反することだ。
まして、今回は包囲を突破して犯人が逃亡している。
それがのせいではないにしても。
―――――だが、叱責はなかった。
「それで?」
退屈そうに聞いてくる上官に、は軽く息を呑む。
次の言葉が、本当に言わなくてはいけないことだった。
「独断で行動したのは間違えていました。
・・・・例の国家錬金術師殺人犯は、以前に会ったことのある人物でした」
の言葉に、執務室がしん、と静まった。
時間が止まったかのように、しばらく誰も動かなかった。
ロイが見透かしたようにため息をついた。
ハボックは意外に思いながら自身の上官を見つめた。
わかっていたのだろうか?――――でも・・・何を、どこまで?
「強いショックを受けていたようだから、もしやと思っていたが・・・」
唖然とする男たちの中で一人だけ冷静な面持ちでロイが言う。
さっきの退屈そうな様子は一転、待ってましたとばかりの表情だ。
手に持つ万年筆をくるくる回して遊んでいた手が、ぴたりと止まった。
「話してもらおうか。彼とはどういう関係だ?」
傷跡に触れるとか、過去に辛いことがあったとか
そういったことをわざと無頓着に装って、あっけらかんとロイが尋ねた。
自身がそのつもりで来ている。
気遣うのは、この場合ただの自己満足だ。
「ただ一度、道端で怪我をして動けないところを助けただけの関係です」
思ったよりしっかりと、が答えた。
一同が目を見開いた。
思うところは異なっているが、それぞれが驚いたということだ。
「それ、いつのことだ?」
ヒューズが口を挟む。
「母の事件の前夜です」
間髪いれずにが答える。
「それでは・・・・その事件の現場に、最初からスカーはいたのか?」
ロイの言葉に、が頭をふる。
「助けて宿に連れ帰りましたが、事件のあった翌朝は既に姿が見えませんでした。
朝早くに立ち去ったものの、何かあって戻ってきたのだと思います」
「・・・・・・殺し方を見たか?」
ロイの言葉に、さすがに周りは驚いて、空気がざわりと揺れた。
だが、は一人落ち着いている。
「手の中で、犯人の頭部が破裂しました。そのくらいしか・・・」
「いや。いい。上等だ」
ロイが答えた。は、こんな報告しかできない自分を恥じた。
錬金術を学んだ者として、もう少し気が利いた言い回しを期待されたかもしれない。
だが、あの時は原理も法則も、冷静に推測できる状態じゃなかった。
「助けられた恩を返すために、強盗から母娘を守ろうとした、ということですかな」
アームストロング少佐が話をまとめた。
「・・・だから、を国家錬金術師に間違えたんですか?
軍を辞めないと次は殺すって言ってましたよ」
ハボックが、半ば呆然とつぶやいた。
「物騒な奴だが、有言実行するだろう。
軍を辞めるかね・・・・?」
ロイが椅子に座ったままを見上げた。
言葉は、冗談などではなく本気の問い。
は返答に詰まった。
「・・・私が在籍すれば、軍にとってお荷物になるのでしょうか」
かろうじて出た言葉。
「そうは言ってない。だが、この状況で残るとしたら疑問は残る。
危険を犯してまで、なぜ君は軍人を志すのだ?愛国心か?」
ロイの言葉に、は今度こそ本当に返答に詰まった。
とても自分勝手な理由だからだ。
軍にいたとされる父親の行方を知りたくて、軍人になった。
国家の正義を守るとか、国民を守るとか、志など何もない。
そして、軍人だった父は、すでに戦死していたとドクターマルコーから聞かされている。
今は、自分を軍人にするために尽力してくれた多くの人たち、
軍人になるために切り捨ててきた人たち、
彼らに対する意地が、をここにとどまらせている。
だが・・・
―――――――母を失い、父の死を知らされて、本当に天涯孤独になった。
そのことには思い至って、寂寥のあまり呆然と立ち尽くした。
あまりのことに涙も出てこない。
「・・・・なら私を利用してください」
時間をかけて出てきた言葉は、寂しさの果てにこぼれたものだ。
一同が驚いたようにに集中した。
「何を・・・」
つぶやいたのは、ロイ。
さすがの彼も、予想外のの返答に驚いたのだ。
「スカーとの繋がりは薄いですが、相手は私を覚えていました。
私を囮にすることで、優秀な国家錬金術師を守る方法はあると思います」
凛とした姿。ハッキリとした言葉。
「バカ言うな!殺してくださいって言ってるのと一緒だ!」
ハボックがたまらずに叫んだ。
突拍子もない自己犠牲。
何がをそうさせるのかハボックには分からない。
―――――――この場にいる誰もがわからない。
でもの表情に揺らぎはない。
濡れたような大きな瞳を真っ直ぐ前に向けて、そこからは何も読み取れない。
「・・・・まあ、落ち着きたまえ。結論をあせることはない。
最終的に、そうなることもありえると覚悟ができてるなら、私は何も言わないよ」
ロイの言葉に、ハボックが噛み付くような視線を向けた。
「怒るな、ハボック少尉。私とて、そうしたいとは思わないよ」
「・・・・この場合は、ロイが正しいな」
ヒューズがため息交じりに言った。
「セントラル上層部に、わざわざ知らせてやれば、そうなる」
ヒューズの言葉に、その場がしんと静まる。
男たちは沈黙して目配せしあった。
きっと、思っていることは一緒のはずだ。
「憲兵や、現場の将校らの、報告書はどう書かれますかな?」
アームストロング少佐がつぶやく。
「上に行く前に必ず私が目を通さなくてはいけない。つまらない仕事だ」
ロイがしんどそうに答える。
「われわれは、見たままを正確に報告しますよ。
しかし、報告の中に抜けた部分が出たとしても仕方ないでしょうな」
「おやおや、なんで仕方ないんだ?アームストロング少佐」
少佐の言葉にヒューズが面白そうに反応する。
それを承知していたかのように、少佐は軽く目を上げてみせた。
「中佐は物陰に隠れてしまい、現場を見ていたのははじめだけ。
私は奴と格闘して時間を稼いだものの、力尽きて後のことは漠然としか記憶にない。
・・・・・・ということで、いかがですかな?」
つまり、彼らは一致団結してを守ると決めたらしい。
「いいんですか?そんなことして」
ハボックが笑い出しそうな顔で聞いてくる。
「ふん。それこそ優秀な国家錬金術師の面目のためにもだな」
ロイがわざと不機嫌な顔をしてみせ、
「考えても見ろ。小娘を使って守られるくらいの恥はないぞ」
そう言って、を見て笑いかける。
は、意外な展開に目をぱちくりさせた。
そんなつもりで言ったのではなかったのに・・・
「・。今度こそ上官の命令には従うように」
「は」
ロイの言葉に、敬礼を返す。の姿に満足したようにロイが続けた。
「ここでの会話は他言無用だ。いいね」
「大佐・・・」
どうやら彼らは決めてしまったようだ。
そして、上官命令となればに否も応もない。
笑顔の一同に見つめられて、は今度こそ本当に涙がでると思った。
寂寥は、薄れている。これは幸せなことだ。
この場所に、自分は居場所を見つけたのだ。
