月の綺麗な夜だった。
士官学校に発つ前の日、ハボックはを呼び出し、
二人で過ごした思い出話に花を咲かせた。何の気もなしに。
男の子ばかりの集団に、基本的に女の子は入れてもらえなかったけど、
と言いながら、少し恨めしげにがハボックを仰ぎ見る。
「仕方ないだろ。チビ女は足手まといになるんだからな」
「ひどおい!ジャンはいつもそうやって私のこと仲間はずれにする」
「だって女の子だけの遊びに男は入れないだろ」
そんなハボックの言葉にが抗議した。
「ジャンは女の子の遊びなんか興味ないでしょ?お菓子作りもお裁縫もビーズも。
お菓子作ってると、つまみ食いして、私達に怒られて逃げてくんだから」
そう言った後に、ふと思い出したように遠い目をする。
「・・・・・・でもジャンてば、逃げた後、木苺とかコケモモとかイチジクとか、
『機嫌直して』っていうみたいに、森でみつけて持って来るんだもん。
怒ってるのもなんだかおかしくなってきちゃって」
そんな言葉にハボックが苦笑する。
「怒らしたままだと、俺が後でおふくろに叱られるし、とも後味悪いの嫌だしな」
「一度、お店の売り物のお菓子持ってきてくれたでしょ?おばさん手作りのクッキー。
あれ女の子の間で評判良かったお菓子だから、嬉しかった。」
「あはは。それは勝手にたくさんとってくとお袋に怒られるから貴重なんだよ」
一緒に散歩して、ブルーベリーを見つけてつまみ食いして帰った日。
二人の紫に汚れた服を見て、親が顔をしかめたこともあった。
それと、犬。
「が犬を怖がるから、俺いつもかばってた。いつの間にか平気になってたけどな。
あと、一緒に魚も採ったよな。シャボンの木の実がなるころとかさ」
「そういえばそうだ・・・たくさんあそんでもらった記憶もあるね」
ハボックたちがシャボンの実と呼ぶものは、すりつぶすと泡が出てくる。
シャボンの実は人体に無害だが、魚には何か作用するらしい。
それを川に流すとしばらくして、死んだ魚が浮かぶみたいに、魚がプカリと浮いてくる。
そうなったら、皆して川にざぶざぶ入って手づかみし、川原で焼いて食べるのだ。
「シャボンの木って皆が言うけど、あの木は本当はなんていうの?」
「さあな・・・っていうか、なんでアレ流すと魚が勝手に浮かんでくるんだ?」
「あはは、知らない。魚の採り方、ジャンが私に教えてくれたのよ?楽しかったなあ。
皆で採った魚を焼きながら、服を乾かして、秘密基地で遊んで・・・」
いつもなら絶対女子立ち入り禁止の秘密基地にも、そのときだけは入れた。
大きな楡の木の枝に引っかかるようにして廃材で作られた、男の子だけの秘密基地。
梯子で登るとき、いつもを支えてくれたのはハボックだった。
「もう、次のシャボンの実の季節に、ジャンはいないんだね・・・・」
次第に寂しさを募らせたが、涙交じりの顔になって、そのうち小さく泣き始めた。
でも、もう『行かないで』とすがり寄ってくることはなかった。
ハボックに駄々をこねるたび諭されて、幼心に何か心境の変化があったのだろうか。
こらえきれずにこみ上げるの小さな嗚咽を聞きながら、
ハボックも本当は、少しだけ泣きたかった・・・。
ふと目をあけて、ハボックが目を細める。
一瞬、故郷の景色が見えないことに違和感を感じた。
見える景色は、東方司令部にほど近いハボックの一人暮らしの部屋。
(まだ暗い。・・・今は何時だろう?)
予想はしていたけど本当に故郷を夢に見た。
懐かしい。と最後に過ごした夜の、淡い記憶。
(・・・・・・・・どうして、今になって・・・・)
愛した女ではなく置き去りにした幼馴染を夢に見たのを、ハボックは不思議に思った。
図らずも、妹と思っていた彼女の気持ちを知ってしまったからだろうか?
傍らに置かれた軍服の上着を見る。
一緒にかけられた腕時計はまだ夜の時間を指していた。
それを確認して、ハボックはもう一度目を閉じる。
夢の続きは簡単だ。あれは過去の記憶だから。
あの青い制服を着るために、列車に乗った。
見送りに来たたくさんの人間の中に、はいなかった。
「まさかジャンが士官学校に受かるなんて、信じられないぜ」
「最後の一年でここまで伸びるってスゴイって先生まで褒めてたもんな」
「低空飛行な点数で、いっつも居残りくらってたくせに」
口々に遠慮ない物言いをする村の同級生に、ハボックは笑いながら応じた。
受験を決めてからハボックは、予想通り、まず勉強の壁にぶつかった。
解らないときは、村で一番頭のいい村長の息子を追いかけて勉強を教わった。
毎日何時間も机に向かうハボックに、穏やかな気性の彼は辛抱強く付き合った。
受験前頃には、ハボックの成績は村長の息子と肩を並べるまでになった。
セントラルの大学に受かった彼は、士官学校にハボックが合格しても驚かなかった。
ハボックの努力を間近で見ていた彼は、素直に賞賛してくれた。
「村長の息子様サマだよなー。お前、一生頭上がんねぇぞ奴に」
「う・・・・そういえば、士官学校に行ったらひとりじゃんか。どうすんだよ俺!!」
今更焦ってみせるハボックに、見送りに来た全員が笑った。
「速攻、帰ってくるんじゃねえの?落第してさ」
「うわ、縁起でもねぇな。励ますだろ普通見送りってのは!」
仲間と笑いあっていた時に、蒸気の音が響いて、その場にいた全員が硬直した。
ふざけていた時間に終わりがこようとしていることを、誰もが意識した。
「・・・・じゃあ、そろそろ行く」
「・・・・ああ、ジャン、あのさ」
「あはは、帰ってくるからな。そのうち、さ」
その言葉を聞いたときの、仲間の顔をハボックは忘れない。
眉を寄せ目を見開いて、泣きそうな顔を並べて、言葉がのどに詰まったみたいだった。
列車が走り出したとき、見送りの連中が追いかけてきた。
次第に早くなる列車と大きくなる滑車音に負けないようにと、彼らが声を張り上げた。
「かえ・・・・く・・な!!」
「・・・・何!?聞こえない!!」
風圧で言葉が消された。
それに負けないように更に声を張り上げる。
「かえって・・・くんな・・!!」
「・・・・え・・?」
――――――――――― 帰って、くるな
驚いてみつめた先に、走り続けて叫び続けた彼らの赤い顔がある。
泣いてる者もいる。息が切れて置いていかれた者が遠ざかる。
『帰ってくるな。お前はきっと、どんなことにも負けないから。
元気でいてくれればそれでいいから。だから・・・・帰ってくるな』
聞こえなかった真意に図らずも気付いたのは、育ってきた環境のせい。
内乱が近くで起こって、戦争は身近だった。
戦争の最中、帰ってくるのは、障害を得て戦線を離脱した者か、物言わぬ身体。
死んだ人間を迎える家族の悲嘆にくれる姿が、見送る彼ら全員の中にあった。
ハボックが帰ってくるときは、元気な姿のときとは限らない。
だったら、どこかで元気なまま、いてくれたほうがいい。
・・・・・・・・たとえそれが、自分達の側でなくても。
その感情がどんなに切ないか、経験からハボックは知っていた。
『帰ってくるな』と泣き叫びながら振った彼らの手。
千切れるくらい振られていたたくさんの手は、いつまでもハボックの脳裏に残った。
列車が走り出して、いつまでもデッキにいられず座席に移った。
車窓から泣きたい気持ちのまま外を眺めた。
怖かった。
知らないところへ行くことが不安だっただけじゃない。
急に仲間から離れてしまうことに孤独を感じた。
これから属する集団はハボックにとって、ただでさえ嫌悪が強い。
軍人に、自分の想い人を奪われた。
皮肉にも、それがきっかけで軍を志した。
愛する人の何もかも・・・守れなかった後悔が、この道を選ばせた。
軍人にもいろんな人間がいる。
犯罪を平気で行う野蛮人も、理想を掲げる紳士も。
野蛮人の中に放り込まれても自分を見失わないでいられるだろうか。
自分が、どうなってしまうか分からない。
人を殺しに行くのも想像つかない。
怖くて、心細くなって・・・・外を眺めたのは、そんな理由だった。
車窓の景色が、シャボンの木のなる場所から、程遠くない場所にさしかかる。
大きな楡の木の側の川は、あの草原の向こうにある。
(あの丘・・・よくが俺を探しにきたっけな・・・)
しびれたような頭でぼんやりとハボックは思い出した。
用件はいつも『夕飯もうすぐだって』とか『店番してって、おばさんが』とか他愛ない。
逆に、ハボックが帰りの遅いユイを迎えに行ったことも何度もある。
本気の恋に溺れて教会に通う前、たいていはあの丘から夕日を眺めた。
綺麗なオレンジ色が景色を染め何もかもを輝かせると、丘の草原まで金色に輝いた。
その景色の中に立つのが、好きだった。
きっと今の時間は誰もいない。
村の人は仕事をしているし、コドモのほとんどは見送りに駅に集まっていたから。
ぼんやりと景色を眺めながら、ハボックはそんなことを考えていた。
ふと、その丘で何かが動いた。
それを認めてハボックは思わず身を乗り出した。
「・・・・・・・!?」
草原の中に立ち、列車を見送る黒髪の少女。
丘に立つ幼馴染を見たのは、いつ以来か。
草に隠れてしまうほど小さな幼馴染しか記憶にない。
その背丈が今、草原の高い草をゆうに追い越していた。
いつのまにこんなに背がのびていたのか、ハボックは眩しい想いでそれを眺めた。
の真っ白な肌が少し上気して・・・多分泣いたのだろう。目が潤んでいる。
「・・・・・!・・・!!」
窓から乗り出すようにハボックが体全体で叫んだ。
それに気付いたのか、が目を見開いた。
「・・・・ジャン?・・・ジャン!!」
美しい景色の中に立つ少女を見たとき、ハボックの迷いが消えた。
あの場所を守りたい。
そこに生きる人を、守りたい。
何度も何度も繰り返し、に語り続けた決意。
語ることで、臆病な気持ちや貧弱な意思と向き合って勝つことができた。
一番大事な気持ちから、逃げずにすんだのだ。
だから今、ここにいる。居ることが、できたのだ。
それに気付かせたのは、自分の愛した景色と幼馴染。
見えなくなるまで、その景色を目に焼き付けた。
もう一度座ったとき、さっきまでとは違う心境になっていたことを、ハボックは忘れない。
(そうだった・・・・俺の、原点。諦めずに、ココまでこれた力の素は・・・)
きっかけは悲しい後悔からだった。
だけどココに至るまでの原動力は、守りたいと思えるほど大事な記憶。
幸せな過去の中にあったのだ。
国家の大義名分のために人を傷つけたり殺めることは、心のストレスをひどく伴う。
忘却に眠った幸せな過去は、自己を保つのになくてはならないものだった。
それがなければ、いずれ心は擦り切れて倒れていたに違いない。
(ずっと・・・守りたいものに、守られていた)
回想の中から現実に戻る。
晴れた空が部屋の窓から見える。
ハボックは起き上がると上着をとった。
歯磨きをして、顔を洗って・・・今日も朝から一日が始まる。
