風が吹いたら木立が揺れて、影が光を揺らす。
窓に張られた薄い板の隙間から差し込む光が、ちらちらと動く。

さわめく音を聴きながら、を見つめた。
白くすべらかな肌が、熱を持って一層輝きを増してみえた。
風の音に混じる、荒い息の余韻。

の乱れた髪を手で梳いた。
涙を止めた瞳は、優しく俺を見つめていて・・・・それは初めて見るの顔。



汗ばんだ身体を床に並べて、衣類を毛布代わりに寝そべった。




「・・・・・・大丈夫?」
「なあに?大丈夫よ。何を心配してるの?」

今泣いたばかりのが、少し笑い混じりで答える。
まだ瞳はさっきの涙で濡れている。



「泣いてたから・・・・」
口ごもるように言う。
理由を聞きたかった。俺はに辛いことをさせたんだろうか。


「・・・・・・ねえ、ジャン。私たちの出会いを覚えてる?」
「え?初めて会ったときのこと?」
「そう」


が脈絡なく問いかける。しっかりした眼差しで俺を見る。
今迄で一番、近い距離で、なんだか今更どきどきした。


「・・・・・一年位前だったっけ?覚えてない」

正直に言った。
何せ俺は、いつからが好きだったかもハッキリとは覚えてない。


「そう。・・・・私は、覚えてるわ」
「ほんと!?いつ?どんなだっけ」



身を乗り出すように興味を示す俺に、は困ったように微笑んで、話すのをためらった。
促す俺に、言い始めてしまったからと仕方なく、話してくれた。


「そうね、ちょうど一年前くらいかな・・・私が、この村に来たとき愛人と道を歩いてた。
 そこでジャンと会ったの。あなた、友達と一緒にいたわ」


ああ、そういう出会いだったのか・・・。


愛人がを置いて用事を済ませに行き、は日傘をさしてそのまま待っていた。
ちょうどその現場を見ていた俺と友人は、黙ってすれ違っていった。


『・・・・見ない人間がいるなあ』
『ジャンもか?あれ最近来た軍人と、その愛人だ。娼婦してるって、親父が言ってた』
『ふうん・・・そうなんだ』
『俺、初めて見たよ!うわー、人形みてぇ。綺麗な顔してんなあ』
『・・・・顔が綺麗に整ってて無表情なんて、逆に薄気味悪いよ。
 アイジンの男に笑いかけたとき、口の端しかあがってねえんだもん』


が思い出してくすくす笑う。

「・・・・・すれ違った後、去り際に二人で話したのが聞こえたの」
「まじ?俺、そんなこと言ってたっけ?」
「そうよ。娼婦っていう言葉に敏感な友達と違って、まったく気にしない様子でいたから。
 身体が大きいわりにコドモなのねって思ったの、覚えてるもの」
「うわ、そうなんだ」
「うそよ」

がっくりする俺に、なおも笑いながらが言う。


「娼婦って言葉より、私の表情を見てものを言ったの。それがすごく印象的だった・・・」



確かに、出会って最初の頃のは、無表情で人形みたいだった。
感情を無くしてしまったように何事にも動じず、何事にも感動しなかった。


いつから変わっていったんだろう?




「最初は私、何を話しかけられても黙って何も答えなかった」
「そうそう。慣れない村に来て、不自由な感じだったのにな」
「ジャンは知らない人に対しても面倒見が良かったわね」



思い出話。

一年なんて、そう昔の話ではないはずなのに、とても懐かしい感じがした。



の日傘が壊れたとき、声かけて直してやったよな」
「そうね・・・私、壊れた日傘をぼーっとみつめてたら、ジャンが声をかけてきて・・・」
「なのには無表情で、何も話さないし、御礼も言わない」
「そうね、たいていいつもジャンが勝手に察して世話を焼いてくれた」


二人でくすくすと笑いあう。


「あのときも・・・覚えてる?道に迷って立ち尽くしてたら、やっぱりジャンが来て」
「それは覚えてない・・・そうだっけ?」
「私、無視して無反応だったのに『困ったな。道、迷っちゃったのか?』って」
「ほんと?俺、そんなことよく分かったなあ」


それから結局、俺が愛人を教会まで呼びに行ったらしい。


そのほかにも同様の細かいエピソードはたくさんあって、俺はそのほとんどを忘れていた。
たしかあの頃は、困ってる様子だと声をかけて助けてやったような気はする。



はいちいち覚えていて、いくつもの小話を話した。
「ジャンが何を気にかけても、私は無反応で無視してたのに、全然気にしないで。
 何度も面倒見てくれるの。でもさすがに独り言の連続は参ったみたいね」


が笑いながら言うには、俺はの反応のなさに頓着しないかわりに、
隣を並んで歩いて、さも不思議そうに独り言を言ったらしい。


『本当にいつまでたっても何も話さないし、表情も変えないで。
 人形が動いてるみたいだよな・・・ちゃんと息してるか?生きてるか?
 動いてるし、歩いてるし・・・・大丈夫だよなぁ。言葉、話せないんじゃ不自由だな』



そんなことまで覚えてなかった俺は、の記憶力を意外に思った。





「それから、最初に話をしたときのことも覚えてる」
「最初に話をしたとき?・・・・・ああ、それは俺も覚えてるかも」


確か、俺が親父と店番してるときだ。
そのとき店には何人かの客が来ていて、カウンターに集まって親父を含めて雑談していた。


『最近よく見る軍人と愛人、あの女には近づくなよ、ジャン』
『なんで?別に近づいてはいないけど・・・名前も知らないよ』

カウンターの客の一人が、そんな忠告をしてきた。
俺は不思議に思って問い返したのだ。


『娼婦なんてろくなもんじゃないからな。青二才はあっという間に食われちまうよ』
『子ども扱いかよ、面白くねえなあ。おじさん』

俺が子ども扱いに拗ねていると、他の客が笑った。


『でもな、お前何か困ってる様子だっていうと、すぐ声をかけてるだろ?
 村じゃ余所者な上に娼婦だって煙たがられてるのに、お前は全然気にしない』

村の一人が言うと、親父が同調してきた。

『叱っても理解できないんですよ。娼婦がどんなものか知らないんだ、ガキだから』
『親父まで!コドモ扱いかよ、ったく・・・・困ってる人には親切にって、誰の教育だよ』

俺が親父に拗ねると、周りの客が面白がってはやし立てた。

『へえ、娼婦に優しいジャン坊やは、どんな教育を受けたんだい?』
『世界に平和を、人類に愛を・・・・・いってぇ!殴るなよ、親父』
『調子にのるからだ、コドモのくせに』



そのころの俺は、なんで周りが娼婦という職業に過剰に反応するのか、
分からないわけではなかった。コドモだから刺激が強い、ということではなく。


もちろんそれもあったろうけど・・・本当の理由はきっと、
村の人なりに、親なりに、俺を大事にしてくれていたから。



「その会話を、外でじっと聞いてるんだもんな。あの時はさすがに驚いた」
「お店の中にいた人が、気付いて『おい、黙れ。やばいぞ』って言って。
 それでみんな気付いたのよね。すっごく気まずい雰囲気で・・・」


いつものように愛人と村に来ていたは、いいつけられて雑貨を買いに来ていた。
でも店内の会話が自分の話だからと、収まるまで黙って外に立って待っていたのだ。



気まずい雰囲気を察した親父が気を利かして、に『御用は?』と聞きにいった。
はいつもみたいに黙って必要なものを指差して、
親父はそれを店外に待つのところまで包んで持っていった。

確か金のやりとりも、そこでしたんじゃなかったか?


俺はそんな様子にたまらなくなって、店を飛び出しての後を追って走ったんだ。
今から思えば、幼い方法ではあるけれど・・・


『きゃっ・・・・・!!』

驚いたが、初めて声を出した。びっくりした表情で振り返る。
冷たい氷ひとかけらを、背後からいきなりの襟元に滑り込ませた。
かけらは服に入って、背中を転がったに違いない。

『なんだ。声でるじゃんか』
『・・・・・・・・・・!!?』
『ちゃんと店のやつらに言わなきゃダメだよ。バカにするなって』
『!?』
『今の顔、いつもと全然違うよ。そんな驚いた顔もできるんじゃんか』
『・・・・・・私・・・』


驚いた様子のは、それ以上何も言えず黙って俺を見ていた。
今までの無表情とは違って、まんまるにした大きな瞳で。


『・・・・おどかしてごめん。これ、おわび』

店の品物の小さなお菓子。抜け出すときに氷と一緒に持ち出した。
それをに手渡す。は驚いた顔のまま、黙って受け取った。



『・・・・・どう、して・・・』

が声を出したから、俺は驚いて目を丸くした。
今まで何をしても御礼すら言わず、無反応だったのに。

そのときは俺の中で、まるで魔法が解けたみたいに突然生きた人間になった。



『どうって・・・氷、解けて気持ち悪いだろ』
『・・・・・・・・・・それ、だけで?』
『・・・あと、店の人たちが嫌な思いさせてごめんな。みんな悪気はないから』





そんな回想をしながらが、懐かしそうに目を細める。

その姿があんまり綺麗で見惚れてしまう。
俺の腕の中にいることが、なんだか信じられない。奇跡が起きたみたいだ。


「私、それを聞いたとき、やっぱりこの子は優しく育てられたんだなって思ったの」

優しく清らかな微笑み。
いつもどこか傷ついたような影はそこには見当たらなくて
さっき泣いていた理由が分からない不安も、俺は一瞬忘れてしまった。


「そっか・・・確かこの後から、と少しずつ会話が増えていったんだよな。
 村の人とも、は最低限の会話くらいはできるようになっていって・・・」
「そうね、ジャンのおかげかな」


氷が解けてなくなるように、の心のわだかまりも消えてしまえばいいと思った。
そんなだったから、出会ってから、名前を聞くまでずいぶんと時間がかかった。


それから自然と一緒の時間を積み重ねて・・・
いつのまにか、ただの『知っている人』から『好きな人』になった。





ふとが俺の腕にもぐりこむ。胸に顔をうずめる。

・・・?」
「・・・・・ごめんね、ジャン。ごめんなさい・・・」
「どうして?何で謝るんだよ。・・・は、俺を好き?」


見上げた瞳は優しくて、でもまた涙で濡れていて、美しく輝いていた。


「・・・好きって言っても、いい?許してくれる?」
「許すって・・・俺は嬉しいよ、が好きだから。一体どうしたんだよ」
「・・・・ごめんなさい。ジャンが、好き・・・いちばん好き」


切ない泣き声に混じる、の告白。
まるで自分には、そんな言葉を言う資格はないというように視線をうつむけて。

気持ちを抑え込むような、それでも溢れてきたような、そんな言葉に
俺はたまらなくなって、言った。


、俺を好き?」

頷く。何度も、何度も・・・
それは幸せなことのはずだったのに、何度も夢みたことなのに。


「なんで、泣くの?俺とこうしているのが、嫌?」


が首を振る。
見上げた瞳が涙で輝いて、悲しみよりずっと喜びが溢れていたことに俺は安心する。

「ジャンは知らないの・・・私が、あなたといてどんなに幸せか。
 こうなることを、本当はずっと願ってた・・・許されないと知ってても」
「許されないことなのか?どうして・・・」


はそれ以上何も言わず、聞かないでくれというように視線をそらした。


。・・・・もう一度抱いてもいい?」


どんなにしっかり抱きしめても、この腕から消えてしまうような
泡のような夢かもしれないという漠然とした予感を振り切りたくて、手を伸ばした。

腕の中のの、確かにある柔らかい身体。



は俺を見て悲しく微笑んで、それでも頷いて俺に手を伸ばしてきた。
重なり合うの肌を感じて、何度も強く抱いて、キスをした。




それでも消えない不安。増してくる違和感。
想いが通じているのに、どこかすれ違っている。

それをどうしたら拭えるのか、これ以上どうしたらいいのか。
何もわからないまま夢中になって、ただ強く抱いた。
を離したくないと、祈るような気持ちで・・・