とようやく想いを遂げたその日は、眠れなかった。
思ってたような甘い余韻はなく、むしろ増してくる不安のせいで。
・・・・・・・・いったいこれはどういうことだ?




翌日も教会でと会えることを願った。
あの笑顔を見せて欲しい。あどけない素顔。
そうしたらきっと、安心できる。


そう信じて、無理やり目を閉じた。
闇はいつまでたっても明けなくて、俺はいつも以上に長い夜を感じた。





まだ朝の早いうちに、教会へ行った。
今日一日、ここでに会えるまで待とうと思っていた。

一番乗り・・・そう思って開けた扉の先に、見覚えのある後姿。



思わず踵を返そうとした一歩先に、相手が気付いて声をかけてきた。



「やあ、おはよう。早いんだね・・・ジャン・ハボック君、だったかな?」
「・・・・・・おはようございます」



の愛人が椅子に座ってこちらを見ている。
声をかけられた手前、無視するわけにもいかず、仕方なしに近づく。

仏頂面で近寄っていく俺に、の愛人は余裕の微笑みで迎えてくる。



「今日はは一緒じゃないんですか?」
「私はさっきまで前線の病院に収容されていてね。戦場へ行ってからずっと、会ってない。
 もう何日もね。から何も聞いてないか?」
「はい・・・閣下のことは、何も・・・」

高位なのは知ってるが、実は階級は知らなかった。
勲章も階級を示すものも、詳しくは何も知らない。

閣下と呼ばれた愛人は、苦笑して首を振った。


「閣下と呼ばれるような身分ではないんだ。中佐で構わないよ。
 それももう、返上したがね。今は一介の退役軍人だ」
「中佐・・・は、退役されたんですか」



中佐と呼ばせるの愛人は、俺の質問には素通りして、とんでもないことを言い出した。


「君は、が好きかね」
「は?・・・・何を」


脈絡なく聞かれて、とっさに上手い返答ができない。
この場合どうしたらいいのか。

好きだと認めてけんかを売るか、しらを切っての立場を慮るのか。
どちらにしても、賢い方法ではないような気がした。



「私に気を使うことはない。君と彼女との噂を、よく聞くからね。
 好きなら好きと、はっきり言いたまえ」
「言わせてどうするんですか?何の特にもならないでしょうに」
「・・・・・・・君は、思ったより賢い男かもしれないな」
「お褒めに預かり恐縮です」


中佐はちらりと俺をみて、おもむろに聞いてきた。


「じゃあ、もっと率直に聞こう。・・・・・と寝たかね?」


思わず我を失って詰め寄ろうとした俺は、その手前でギクリと体を強張らせた。
中佐の足が、半分なかった。生々しい血痕がズボンを汚している。
これはきっと怪我をしたときのものだろう。生地の、もとの色が分からなかった。


俺の顔色を見て取った中佐は、自嘲の笑みを浮かべる。



「ぶしつけな質問を許してくれたまえ。私にとっては大事なことでね。
 を守りたいんだ。こんな体になってしまって、退役するしかない私だが」


俺は衝撃から立ち直れず、中佐の前で棒立ちになった。
何もいえないでいる俺に、中佐はなおも語りかける。


「あの子はかわいそうな子でね。ある軍人に見初められて、それを拒んだために・・・
 死ぬよりひどい恐ろしい目に合わされた。娼婦として身を落とすしかないような」
「・・・・の過去を、知ってるんですか」


中佐が俺を見て、悲しそうに微笑んだ。
これは懺悔だ。とっさにそう思った。
中佐は、俺に懺悔をしようとしている・・・



「かどわかされて、大勢の軍人に・・・それはひどい暴力を受けた。
 何日も閉じ込められて、気も狂うような目に合わされて・・・さぞ怖かったろう」
「な・・・・・・!!」
「私が気付いて主犯の士官を裁いたが、彼女は壊れたようにうつろな瞳で・・・」
「主犯の士官は・・・」
「前線に送った。まもなく殉職したらしい。名誉の戦死を与えられたよ」
「そんなやつに・・・」



唇をかんだ。
は、中佐の愛人でありながら、他の軍人の相手もしていた。
本当は触れられるのも嫌だったんじゃないんだろうか?


「どうしては、軍人相手の娼婦なんか・・・」



軍人にひどい目に合わされたなら、関りたくはないだろうに。
話を聞いただけの俺でさえ、軍服の人間が目の前にいるだけで寒気とふるえが走るようだ。


中佐はひどく悲しげな目で、顔をうつむけた。
視線の先は失った足。


「あの子は真っ直ぐないい子だ。だから、歪み方も真っ直ぐだと、私は思っている」
「歪み方も・・・?」
「あの子は何かを隠している。それは身の危険を顧みず、何かをしてるということだ」


それは、俺も漠然とした不安を感じていた。
歪み方も真っ直ぐ・・・矛盾した言い方だが、を好きでずっと見てた俺は理解した。
は軍人に復讐しようとしてる・・・?



「もう一度聞く・・・君はと寝たかね?」
「何のためにそれを聞くんですか?を頼むとでもいいたいなら、
・・・・今までの関係がどんなでも、俺は引き受けますよ。が好きですから」
「ようやく認めたね」
「お望みどおりでしょう?」
「もちろん」


苦笑する中佐は、以前見た快活な様子を少しだけ取り戻したようだった。
でもそれも一瞬で、すぐ思案するように表情を曇らせる。



は言葉通り娼婦らしい娼婦でね」
「・・・・・何の話ですか」
「君は知らないか?体は売ってもキスはさせない、という話だよ」
「興味ありませんから!」

聞きたくなくて言葉を咎めたが、中佐は構わずに話し続ける。
俺の咎めも想定範囲というように、頓着しない。



は客の軍人相手にキスは許さなかったし、情事の最中でも決して目を閉じなかった。
 目を閉じると暗闇で受けた過去の傷を思い出して辛かったようだ・・・そう言っていた」
「・・・・・・・え?」



廃屋でもの様子を思い出す。
何度もキスを重ねた。しっかり目を閉じて泣いていた。・・・・理由も言わずに。



「情事の快楽に目をゆがめても、閉じることはなかった。瞬きも嫌がるほどに。
 君は知らないんだろう・・・そんなの姿など」
「知りません」
「そうだろうと思った。は君との関係に、失ったものを見たんだろう。
 君といるときだけ、ひどい過去から離れられたのかもしれないね」
「・・・・・そんなこと。どうして、今言うんですか」



もっと早く言ってくれたら。
こんな身を削るような、の行動を止めていたのに。



「私は、恥ずかしい話だが、親子ほども年の離れたに本気で惚れていたんだ」
「え!?親子ほどって・・・中佐はまだお若く見えます」
「軍隊で体を鍛えていれば、ある程度年より若く見える。
 実際私には、二十歳になる娘がいるんだ。妻には先立たれたがね」
「はっ!?はたち・・・ですか」


てっきり三十代かと思っていた。俺は、本気で驚いて中佐を見た。
髪の毛に白髪はなく、隆々とした筋肉は衰えを感じさせない。それなのに?

娘と愛人が同じくらいの年とは・・・相当、年上だったはず。
男としてはうらやましいが、確かに世間としては恥ずかしい話かもしれない。



「君がを幸せにできるなら、それでいい。だが、あの子は何か隠してる。
 そのせいで君ももどうしようもできない事態がくるかもしれない。そしたら」


中佐が俺に紙片を渡す。
四つ折りの紙を黙って受け取る。不審な顔をしている俺に、中佐が言った。



「私は義足のためにしばらくラッシュバレーに滞在する予定だ。
 この紙には、私の故郷が記してある。に何かあればここにくるように・・・
 心配はいらない。この場所は誰も知らないからね」
「でも軍の記録に・・・」
「故郷は、ものすごい山中の田舎でね。私は見栄っ張りで、それを知られたくなかった。
 家出して、両親を勘当した祖父母の家に身を寄せた。軍の記録では、そこが実家だ」



中佐がにっこり笑って言った。


「これはと私しか知らない暗号で書いてあるからね。
君が見ても誰が見ても、どことは分からない。安心して任せてくれ」


それは、俺がを幸せにできないと判断したときの保険ということだ。
中佐の意図が分かって、思わず食って掛かった。


「それじゃ・・・の意志は素通りじゃないですか。こんなやりとりは・・・!」


中佐は真摯な目で、重々しく言った。


「そうかね。私はただ、あの子に生きていて欲しいと思っている。それだけだ。
 あの子が無表情で、感情を取り戻せなくても・・・ただ生きていて欲しいんだ」



何をいってるんだろう?あんなにも感情豊かなを・・・まるで感情をなくしたみたいに。
一人で百面相ができるくらい、くるくる変わるの顔を、この人は知らないんだろうか。




ああ、そうか。・・・・・この人は、知らないんだ。




俺は言葉を飲み込んだ。
そうして手の中の紙片を握り締めた。

破いて捨ててしまいたい衝動に駆られたのに、できなかった。

理由は分かっていた。
俺は、この漠然とした不安が現実になったときに、これが必要になると知っていたから。



本当は俺がどうにかできればいいのに。自分で守れたらいいのに・・・
俺にしか見せない感情豊かなを、この手で守れたらいいのに。



ずっと、この村の状態をみてて漠然と思ったこと
を守りたいと本気で考えたことを
もういちど真剣に、悩んだ。



何か道はないのか、できることはないのかと。