ゴトン、と音がしてロイ・マスタングが笑みを浮かべた。
対する将軍が、口を開けたまま信じられないという顔で、うっすら汗をかく。
周囲は一瞬にして緊迫して沈黙し、ことの成り行きを見守っている。
場所は、軍人専用の、酒と賭け事と煙草を楽しむ休息所。
当然、見物人も士官下士官の軍人。
筋骨逞しい強者に囲まれても、ロイは全く平然としたまま。
将軍のあわてぶりとは対象的だ。
ロイが不敵な笑みで、おもむろに口を開いた。
「賭けは私の勝ちですね、将軍」
「・・・・・・・まさか、本気で・・・・・?」
「約束ですよ。果たしてくださいますね」
揺るぎのない視線で将軍を見据えるロイに、誰もが固唾を呑んで見守る。
将軍が、がっくりとうなだれた。
それは、ロイの要求を飲むということではなかったが、彼は頓着しない。
「では、本日中に伺いますので、よろしくお願いいたします」
「ほ・・・本日中だと!?」
ざわっとする何人かが時計を確認する。
将軍自身も、壁の時計を確認すると真夜中の12時を廻っていた。
「賭けに勝ったのは私です。どうか約束をお忘れなく」
愕然とロイを見つめていた将軍が、やがてふうっとため息をついた。
緊張で前に乗り出していた身体を、背もたれにどっと預ける。
頭をたれて、やがて諦めたように言った。
「わかった・・・・娘は君に差し上げよう。約束どおり」
周囲がざわっとどよめいた。
見物人は軍人達。士官も下士官も、この勝負を見守っていたすべての者。
結末を知りたくて、誰もがその場を動かなかったのだ。
ロイが賭けに勝って、将軍の娘を手に入れる。
それを将軍が、了承する。
衝撃の展開に、誰もが信じられない思いでその場に立っていた。
――――――――――そして、そこから物語が始まる。
「え・・・・・・?今、なんておっしゃいましたの?お父様」
「まあ、見合いだと思って行って来なさい」
長いまつげが上下に瞬く。小さな顔、つるりとした肌。
可愛いという形容詞が似合う顔。
の大きな瞳が、将軍である父親を驚いたようにみつめていた。
「ロイ様と、ですか?」
「ああ。お前を見初めたというのでね、了解した」
「それって・・・・」
「まあ。固く考えるな」
気軽に言う父親に絶句して、は困った。
いきなり人を呼びつけて何かと思えば、
『これからマスタング大佐が迎えに来るから準備しなさい』
嫁入り前の婦女子が、気軽に男と二人で出かけるのははしたない、と言っていた父。
ずっと箱入りにされて、パーティーでも父親が側にいつもいた。
男性経験なんか、まったくない。
それどころか、男友達すらいない。
それなのにデートを了解した、なんて・・・・
しかも『お見合い』は『気軽に』行けるものではない。
そう思ったが、父親の言うことは絶対と教育されたは、逆らえない。
口ごもりながらも了承して、出かける支度を始めた。
『マスタング大佐』のことは知っていた。
秋の社交シーズンで、パーティーに参加したときに何度か会ったことがある。
黒髪に黒い瞳。甘いマスクで優しい笑顔。
初めて会ったときはまだ12歳かそこらだった。
一方のマスタング大佐は、なりたての少佐。
何かの拍子に仲良くなって、お菓子をもらった覚えがある。
そのとき、戯れに彼が言った。
「将来、私のお嫁さんになりますか?」
くすくす笑っていた彼が、まるで本気じゃないのは分かってた。
だからも無邪気に頷いた。
目の前の、格好の良いお兄さんに、構ってもらえるのが嬉しくて。
「お嬢様、マスタング大佐様がお見えです」
戸惑いながらも、階下へ降りる。
踊り場を抜けて、玄関を見渡せる位置まで来る。
のドレスは、胸の下をキュっと絞った裾の広がるワンピース。
髪の毛をゆるく巻き、薄化粧をして整えられた装い。
玄関のアーチの下で、マスタング大佐がを見上げていた。
微笑む顔は、あの頃の『お兄さん』のままで、は少しほっとした。
端整な顔。優しい眼差し。面差しはあのころのまま。
12歳で初めて会った頃から、まったく変わってない。
「お久しぶりですね。・・・大佐になられたとお聞きしました」
「秋の社交シーズン以来ですね。貴女と会うのは、いつも社交界ですから」
「昇進、おめでとうございます」
「どうも」
車を走らせながら、久々の会話をする。
12で会った頃から、毎年社交界の時期には顔を合わせていた。
「今日はどちらに連れて行ってくださるのですか?」
「・・・・・・お父上から、何もお聞きでない?」
「ええと、気軽に行ってきなさい、とだけ・・・」
『お見合い』はさすがに口に出せず、は戸惑うようにロイを仰ぎ見た。
視線を受けるロイが、言葉に詰まったようにみつめ返す。
「・・・・・・今後、上目遣いで見上げるのは私にだけにしてください」
「え?」
ほのかに顔を赤くして窓を向くロイに、は理解できずに問い返す。
(コドモっぽいって、思われたのかしら・・・)
は少し悩むように視線をうつむけた。
(自覚がないのか?それとも、手練手管・・・)
そんなを見て、かすかについたロイのため息に、は気付かない。
劇場に連れて行かれて観劇したあとは、また移動。
宝石店に連れていかれて、物色したものの何も買わず店を出て
最終的に、車は東部で一番大きなホテルの前で止まった。
「ここのレストランに予約をしてあります」
「嬉しい。ここのお料理、とても好きなんです」
「以前もいらしたことが?」
「はい、何度か」
父親、家族、または友人と。
言わなくても分かるに違いないと思い、は言葉を足さなかった。
が、ロイは微妙な表情で眉をひそめた。
「・・・・会うたびに、ずいぶんオクテなお嬢様だと思っていたのですが」
「え?・・・・聞こえませんでした。何か?」
「・・・・いえ。何も」
エスコートされて入口のアーチをくぐる。
父親以外の腕に手をかけて歩くのは初めてで、はうきうきした。
「父が、ここのお料理好きなんです。来ると必ずデザートにスフレを頼むんですよ。
あんな外見をしていて、甘党なんておかしくて」
「・・・・・・ここへ来るのはご家族と?」
「ええ。もちろん」
それ以外誰が居るのかと問うような瞳に、ロイが脱力した。
あまりに楽しそうな素振を見せるに、手馴れた女だと思いそうになっていただけに。
「どうか、なさって?」
「いえ。将軍がスフレを召し上がるのかと意外に思いまして・・・」
そうでしょう?と屈託なく笑う。
そんな様子を見て、ロイにさっきからの懸念が頭をもたげた。
(なんだか、小悪魔みたいな翻弄の仕方をする・・・)
