第五話 桜の雨、いつか
もういいよ。
私を解放しようとしなくても、いいよ。
そのままでも、いつか馴染んで解けていくものだから。
「これが君の錬金術か?・・・君のふたつ名は記憶、だったね。
明け方の夢で、皆にお別れを言えるように。君は何をしたんだ?」
ロイがつぶやく。
科学では説明できないことはたくさんあるんです。
もちろん錬金術だって、ね?
確かに、それぞれの人の記憶の中に一致する私が夢に出てきたでしょう。
けど、それは人の関係性の中で記憶が作られるからそう思ったの。
―――――――――ねぇ。こんな錬金術、あるわけないでしょう?
あなたも今、思い出している。
それは、私と同じ記憶。
桜並木の、花びらの中での告白。
一面の黄色い菜の花の中に埋まるように歩いたこと。
沈丁花の花に隠れるように、こっそりキスを交わした。
ひまわり畑に隠れる私を、ロイが見つけてくれた。
あの時は、初めてのちいさな諍いに私が拗ねたんだった。
あの時ロイは、私のことをコドモみたいだと笑った。
露草を窓辺に飾って、お月見をした。
槿の花を手折って、ロイは私の髪に飾った。
槿をむくげと読むことを、私はロイに教えてあげた。
柊やゆずりはの下で、寒さに凍えながら一緒に歩いた。
冬が来れば春遠からじ、と誰かが言った故事を思い出して、
それを言ったら、春には結婚しようか、ってロイが・・・
私がセントラルから帰ったら、一緒に指輪を買いに行く約束をした。
桜が散る。
花びらの中に立つ。
「ずっと・・・・・そこに、いたのか・・」
少しやせたままのロイが、私を見つめる。
ようやく、私を見てくれたね。
嬉しくて、寂しくて、笑顔になる。
ロイが、悲しそうな顔で、それでも笑おうと顔をゆがめた。
「君は、困った人だ。こんなふうに、突然・・・人を悲しませるものではないよ」
泣き笑いのような、ロイの声。
本当にね。返す言葉もないよ。
桜の花びらが、絶え間なく舞っている。
まるであの時と同じ。
「君の訃報を聞いて、何度も思った。自分に、事故を防ぐ手立てはなかったのか。
せめてもう一度目を開けてくれたら、言葉を交わせていたら・・・。そう、何度も何度も」
私は微笑んで、彼の言葉を聞いているだけ。
そうね。お別れも言えなかった。
心残りといえば心残りかな・・・だからここにいるのかもしれない。
婚約指輪の約束も、果たせなかった。
でもね。私は、婚約しないでよかったと思ってる。心から。
負け惜しみじゃないよ。ロイのために、そのほうが良かったの。
ロイが大好き・・・
そういうと、ロイは優しい顔で私を見つめる。
泣くのを我慢してるんだろうか?
それでも涙はみせずに、出てくる言葉は穏やか。
「君と一緒にいられた時間は、とても楽しかった・・・・」
うん、楽しかったね。たくさんいろんなことあった。
大好き。・・・・ロイが一番好き、誰よりも。
「長いこと、私から離れられなかったんだろう?・・・もう、解放するから」
天に昇れるかな?
そう聞くと、泣き笑いのようなロイの顔。
いかないでくれって、言いたい?
ロイが微笑んだ。
「今まで、本当にありがとう。・・・って言ったら、永遠にサヨナラかな」
私はゆっくり首を振る。
ならないよ。
ずっと側にいる。
あなたをみてる。
今までずっと隣にいたけど、それはあなたが心配だからだけじゃない。
優しい思い出だけ、時間が経つほど鮮明になるのは、
時間の残酷な優しさなんだと思う。
もし他の人を好きになっても、構わないよ。
あなたはひとりで生きちゃいけない。
だから、今が辛くても耐えていて。
冬が来れば春はそんなに遠くないから。
目が覚めたらきっと、夜明けが待ってる。
明け方の空気は気持ちがいいよ。
ロイの指先に、花びらが触れる。
・・・ここはあなたの記憶の中にある風景。気付いてる?
ロイは花びらをみつめていた。
そしてようやくぽつりと言葉を口にする。
「桜・・・・あのときと、同じだ」
私は、その言葉に満足して微笑む。
「そうね・・・・思い出してくれて、ありがとう・・」
ロイが私に手を伸ばす。
抱きしめようとした腕の中で、私は桜のはなびらに変わる。空気に溶ける。
まるで腕の中で飛ぶように散った花びらの中、
ゆっくりと、ロイが天を見上げた。
目覚めてすぐに目を閉じても、夢のおわりはもう見られないから。
さぁ、起きて。
あなたの、新しい一日が始まる。
