口の上手い人間は信用できない。
母親に、そう教えられて生きてきた。
父親は、どちらかといえば寡黙な人で、私もおしゃべりは得意じゃない。
だから、今付き合っている彼を見ていると、
なんで私はこの人を選んだの?と本気で思ってしまうことがある。
理由は、付き合ってください、と言われたからなのだけど・・・
「あのさ、こう思うことない?」
なんだか嬉しそうにハボックが問いかけてくる。
私を見るハボックは、なんだかいつもしまりのない笑顔。
「どんなこと?」
普通に問い返すと、いつもクールな反応だ、と不満げにもらす。
でも、すぐに機嫌を直して、表情を緩める。
「たとえば、俺は世界中の女から告白されても君を選ぶ。・・・君はどう?」
噴出しそうになった。
笑い出すのをこらえただけなのだけど
私も表情がおもいきり崩れて笑顔になった。
ハボックは誤解して、非常に満足そうだ。
だから、あえて言わないことにした。
とりあえず、期待の眼差しで返事を待っている彼に答えなくては。
「そうだなぁ・・・」
私は少し悩んで、正直に気持ちを言葉にする。
「・・・とりあえず、同じ言語を話せる人から選ぶかな。国籍は問わないにしても」
にこにこしながら話す私を見ていたハボックは、
同じにこにこした表情を一瞬にして曇らせた。
「なんでそういうことをいうかなぁ」
「だって、言葉は通じないとこまるでしょう?」
「そうじゃなくて」
不満顔のハボックにお構いなしで、私はにこにこと答える。
さっきからの笑い出したい余韻が残ってるからとびきりの笑顔。
私は、彼からこんな陶酔した台詞を聞くとは思わなかったから、
笑いのツボにはまってしょうがないのだ。
「俺はさー・・・つか、こういうときは『私も同じよ』とか言うだろ普通」
「言わないよ、そんなこと。恥ずかしい」
とうとう私はこらえ切れなくて笑い出した。
お腹を抱えてカラカラ笑う私に、ハボックはため息をつく。
「本当にクールなんだから・・・もう。
いつも俺ばっかりが君のこと好きなんだ」
彼はいつも付き合う女の子にこんなことをいうのだろうか?
夜道を送ってくれた帰り道。
二人きりのときに、ハボックが言った。
「俺は君のことが大事だから、君が呼べば仕事も何もかも放り出して駆けつけるよ」
いつものうっとりした瞳と、しまりのない顔。
この人は私が好きなのではなくて、私を好きという自分が好きなのではなかろうか?
たまに本気で思ってしまう。
「上司が行くなと言っても、仕事を辞めることになってもね。
『いえ、俺は愛する彼女を取ります』って言って駆けつける」
どこまで本気で言っているのか分からないけど、私は真面目な性格。
「それが単なる私のワガママでも?
病気とか、死にそうとか、事故とかじゃなくて?」
一応聞いておく。勘違いなら悪いから。
「たとえ、何もない、ただのワガママでもそうするよ」
何かに陶酔したように、得意げに言う彼。
勘違いじゃないことを確認。
「そんな男はイヤ」
正直に言った。
「え?」と困惑気味の彼。
「だって、仕事辞めたらお金どうするの?生活できないでしょう?
私が死にそうとかならともかく、ただのワガママで人生狂わせてどうするの」
ハボックの、期待感を失うような表情。
ごめんね。こんな彼女で。
ハボックは、はあ、とため息をついてガッカリしたような様子を隠さない。
そんな姿に、ちょっぴり腹が立ってきた。
夢見たいな話から抜け出せないでいるなんて。現実をきちんと見て?
「女房子供が帰ってこいと言っても、冷静に仕事を優先するくらいの男がいいよ。
ましてや上司の制止を振り切ってでも、なんてありえない。
親族に何か起こったとか、家族の非常事態は別だけど。」
たとえ話でも、そんな責任感のない男はイヤ。
本当に守るって意味を履き違えてる。
ねえ。何でそんなに夢みたいな気持ちでいられるの?
もういい大人なのに。
ハボックは、あきらめたような表情で、寂しそうに笑って言った。
「本当にクールなんだから。・・・かわいい顔して」
私に可愛いって言ってくれるのは、ハボックだけだよ。
「転勤することになった」
真面目な顔で告げる彼。
「どこ?」
「セントラル」
正直驚いた。あんな夢ばかり語る彼が栄転?
「おめでとう・・・それって昇進だよね?」
でも嬉しかった。認められてよかったね。
「栄転ていうか・・・上司の引きで」
「それでも、上司に認められてるってすごいことよ」
何でこんなに渋るような言い方するのか、不思議でしょうがなかった。
照れているわけでもなさそう。
「やっぱりな・・・・」
あきらめたように、独り言をつぶやく彼。
私は驚いて何が?と聞き返す。
「私と仕事とどっちが大事なの?なーんて言ってはくれないわけね」
私はたぶんきょとんとしたのだと思う。
ハボックが気が抜けたように苦笑した。
「言って欲しいの?」
とりあえず聞いてみる私に、
ハボックは苦笑した顔を隠すようにうつむいてかぶりを振る。
「そうじゃなくて・・・いいよ、もう」
「何が?」
顔を上げたハボックは、寂しげな笑みを浮かべて私を見る。
「いつも、冷静なんだなぁって思って」
「・・・・・・・・・何、それ」
だって、仕事は大事でしょう?
どちらを優先なんて子供の理屈じゃないのかな?
だって、大事なものはひとつじゃないもの。
恋人を大事にすることと、仕事を大事にすることは、私のなかでは別のもの。
「・・・だから、もういいよ」
「よくない。ちゃんと言って」
表情をかえないまま穏やかに言う彼に、
厳しい眼差しを向ける私。
「・・・・遠距離、寂しいとか思わないんだろ?」
私の表情に、ハボックはあきらめたように答えを聞かせてくれた。
私は目を見開いた。
実は全く思っても見なかったことだった。
「連れてってくれないの?」
私の本音は、そこで。
ハボックはあっけにとられたみたいに表情を変えた。
「・・・・は?」
「私、ここに残るの?一緒に行かないの?」
「一緒に来てどうすんだよ。仕事は?」
「・・・結婚退職」
ふたりして真面目に見詰め合ったのは、
お互いがあまりに意思の疎通がされてなかった驚きからだと思う。
あれだけ夢見がちな彼は、実は恋愛においてだけ夢の中に住んでいる人。
本当は、仕事を大事にしてるつもりの私よりずっと、仕事に忠実な人。
夢の中の恋人は、きっと誰でも良かった。
きっと私でなくてもよかった。
現実を見ていたつもりの私は、恋に溺れたフリをした彼に将来を夢見た愚か者。
手のひらが空を切って、空気が割れるような音を響かせた。
彼の頬には、私の手のひらと同じ大きさの紅い印。
最後までごめんね。きっと私の手と同じくらい痛かったよね?
世界で一番好きな女の人は、きっと私じゃなかったんだよ。
そう思って、それきり彼とは会っていない。
「・・・・・俺、ほんと女運悪ぃ・・・・」
ラストに傷つけられた身体が崩れ落ちる。
意識が朦朧としてきた。
前の彼女に貰ったライター。
タバコをやめてほしいと言っていたのに、誕生日に何が欲しいかと聞かれてねだったら、
困ったような顔をして、それでも贈ってくれたもの。
あのとき、結婚しておけば良かったな・・・
なんで今思い出すのが彼女なのか。
出会った女は彼女だけではなかったはず。
甘い言葉をいくらささやいても、
それが欲しい言葉ではないとでもいうように、冷静な反応しか見せなかった。
彼女の欲しかった言葉を言えたことが、一度でもあったんだろうか?
ハボックは、しびれるような鋭さを抱えながら、
遠のく意識の中で必死に思い出そうとした。
それがまるで生きるために必要なことでもあるかのように。
出会って何回目かの食事に入ったレストラン。
デザートが美味しくて、食後のコーヒーで余韻を楽しんでいた時に。
「あのさ・・・・彼氏には、何を求める?どんな人と付き合いたい?」
かなりストレートに愛の告白をしたつもりだった。
正面にいるのは、口説き落としたい彼女の姿。
うーん、と彼女は考え込んで、少し小首を傾げてみせる。
それがなんの駆け引きもないただの癖だと知るのは、この後付き合いだしてから。
愛らしい仕草の後に出てくる言葉は、期待はずれの現実的な回答ばかりだったから。
でも、このときは違った。
「私、きちんと付き合って下さいって言われて付き合ったこと、実は今までないの・・・
なんとなく、気付いたらそうなってた、みたいのばかりで・・・だから」
少したどたどしく、緊張気味に話す小さな声。
「だから、付き合ってくださいって言ってほしい。そういう人と付き合いたい」
ストレートな愛の告白にふさわしい、ストレートな返事。
ハボックは、そう思った。迷わなかった。
「俺と、付き合ってください」
小首を傾げて俯いていた彼女が顔を上げた。
上気した頬の赤みが、彼女の期待にこたえられたことを示していた。
はい、と言ってうなずいた彼女を、手に入れたと思った。
別の恋に溺れても、今思い出すのは彼女だけ。
もし、無事に帰れたら・・・・そしたら、もう一度彼女に会いに行こう。
もし無事に帰れたら・・・・
遠くで大佐の声がする。
だんだんちいさくなるその声を聞きながら、ハボックはゆっくりと目を閉じた。
