第2話 軍部
朝の清々しい風が窓から入る。
薄いカーテンが揺れた。少しだけ肌寒い。
は制服を着た自分を鏡にうつす。
上まで止めたボタン。ひとつに結ばれた黒髪。
飾り気も、化粧気も、まるでない。
制服を模範的に着こなすとこうなる、典型的な姿と言えた。
東方司令部に勤務して一週間。
最初に任されたのは、事務仕事。
ズボンでもスカートでも問題ない仕事だが、はあえてズボンを好んだ。
しゃがんだり階段を気にしたり、足さばきを気にしなくてすむ。
「いつもズボンだよね」
フェリー曹長が何気なく言った。
「スカートは気を使うので。ズボンが楽です」
「へえ、そうなんだ。人は見かけによらないね」
「私の見かけって、どんなですか?」
「うーん・・・。立ち居振る舞いが優雅っていうか。いいとこのお嬢さんに見える」
黒縁メガネの奥で、フェリー曹長が照れたように笑った。
も、つられて笑った。
仕事は、まだまだ戦力には程遠い。
「あの、なにか出来ることありますか?」
遠慮勝ちに聞いてみる。
忙しさに苛立ってくると、皆短気になるので正直おっかない。
「じゃあ、資料室に行って、この書類もらってきて!」
「書類って、この事件の情報といえば分かりますか?」
確認をしたのは、以前失敗をしたからだ。
仕事を命じた先輩がいい加減な返答をしたせいで、書類をもらえなかった。
結果として、確認のためにオフィスを何度も往復するはめになったのに、
短気になった先輩は自分の落ち度は棚上げで、仕事が遅いとを責めた。
理不尽だ!と思ったが、言えなかった。
新人の立場は弱い。もう同じ失敗はしたくない。
「情報提供書。ついでにA-0のファイルも取ってきて。
あ、それとこっちの書類、資料室に返しといて」
早口を一回で正確に聞き取ろうと、は集中した。
「はい。ジョウホウテイキョウショ・・・えいぜろのファイル・・・あと書類の返却ですね。」
の真剣な顔と、たどたどしい言葉やメモ書きを見て、
和んだらしい先輩がブッと吹き出した。なんだか心に余裕も出てきたらしい。
「そうそう。・・・・そうか、まだ書類の種類も見方も判らないんだよなぁ。」
吹き出されたので、バカにされたかと思いきや。
新人の真面目さを可愛がるような親切な対応に、は少し肩の力が抜けた。
よかった・・・ブレダ少尉は見かけより優しい人だ。
一言に書類といっても、種類は多い。
始末書や捜査の経過報告書、情報提供者の個人情報、経費の申請書
証拠書類と状況説明書、各々の状況に応じた許可書。その他もろもろ。
内部の機密文書も複数あるし、簡易の裁判記録情報も。
勤務して日の浅いには、莫大な資料の中でなにが必要か経験から判断ができない。
今は確実に覚えるため細かいことも確認しているが、まだ見た事もない書類もある。
一度与えられた仕事を一回で覚えようと、メモしたり書式の見本を自分なりに作ったり。
覚えるのも一苦労だ。
複雑な書式はいざ向き合うと間違いないか不安になる。
確認を求めたくなるが、皆忙しいからあんまりかまってもらえない。
こういうの、向いてないのかもなぁ・・・
なれない日々に、気力もなえてくるのを感じた。
あれからまた日が過ぎて
窓から外を見ると、壁に街路樹の陰が濃く浮かび上がっている。
じりじりと焼けるような太陽の存在を感じて、
はじっとそれを見つめた。
無意識に、ため息がでる。
思い出すと、ため息ばかり。
先方に送った書類が不備で送り返された。指導役の先輩はのせいにした。
報告を受けたホークアイ中尉は眉ひとつ動かさず平然とかばってくれた。
「勤務して日の浅い者に何のフォローもできていない。指示する側の怠慢です」
確か、その書類はの勤務初日に下された仕事だった。
真面目で真っ直ぐがの性格。
一度聞いたことはメモに必ず取る。わからないところも、確認する。
それでも、新人に周りは厳しい。
自分より立場が弱いと思って理不尽な責任転嫁も平気でする。
新人のの失敗を、指導不足とホークアイ中尉に指摘された先輩は、
の悪口を陰日なたなく言いまくった。
「あいつ、超使えねえよ!なんであいつの失敗を俺が責められなきゃいけないんだ」
傍で聞こえてくる中傷に抗う術も知らず、
は反論できずに黙ってしまった。
・・・でも、あの時ちゃんと、内容を確認してくださいと念を押したのに。
は唇をかんだ。
上官として、あまり上等な人間についたとは言えないのがの不運だった。
しかも、は叩かれても叩かれても素直に従う性格で。
上からすれば指導しやすいが、同時に侮りやすい。
なんだか、へこむ・・・
外の街路樹の陰影を眺めながら、仕事に戻るのをためらっていた。
あのオフィスに戻るのが怖かったからだ。
本当は少し泣きたかったかもしれない。
「なーにたそがれてんの?」
ふいに声がして、ははっとして振り返る。
ハボックが、を覗き込むようにして傍らに立っていた。
は、なんとなく気まずかった。
新人でも仕事ができ、先輩とも折り合いの良い理想的な自分であれば、
こんな気持ちにはならなかっただろうと思えた。
だがハボックは何も知らない様子で、明るく言葉を続ける。
「外、めちゃくちゃ暑かった!脱水症状起こすかと思ったよ」
「今帰ってきたの?」
「おう、うだるぞー。外で制服のジャケット羽織るのって最悪。
どうせ現場で動くときは脱ぐけどな」
じゃあ、さっきの先輩の言葉は聞いてないのかもしれない。
でも、いつかは耳に入るだろう。
仕事が出来ないと噂される幼馴染を、ハボックはどう思う?
は不安になった。
でも、そんな気持ちも、は言葉にうまくできない。
かわりに、不器用に笑ってハボックをねぎらった。
「お疲れ様。大変だったね。お茶、入れようか?氷入れて持ってくよ」
「大丈夫かよ?仕事でけっこうテンパってんじゃないのか?」
ハボックは軽く流したが、は内心ギクリとした。
できれば何にも問題ないフリをしていたかった。
でも、ばれているならそれは無意味だ。
「うん・・・。頑張ってるんだけど、なかなかね。向いてないのかなぁ」
自分でも驚くくらい沈んだ声が出て、
はどれだけ落ち込んでいたかを初めて知った。
そして、気づいた。
こんな弱い気持ちを言葉にしたのも、ハボックが初めてだ。
他の人の前では、どう表現していいか分からなかった自分の気持ち。
それを、あっさりとハボックが引き出してくれた。
は沈んだ言葉とは裏腹に、少しだけ心が軽くなった。
反対に、事態を重く見たのはハボックで
「頑張りすぎなんだよ。肩の力抜けって。
俺にだって勤まるんだ。なら、ちゃんとできるようになるから」
ハボックは、の両肩に手をかけて、正面から向き合った。
手の甲に触れる髪の毛が、さらさらと心地が良い。
「一生懸命やりすぎるから、辛くなるんだよ。その性格、なんとかしろ」
・・・だって、仕事だもん。
きちんとやらなきゃいけないものでしょう?誰にも文句言われないように。
ハボックの腕の分だけ。とても近い距離。
その距離が嫌じゃない不思議を感じながら、は心で反論した。
でも、ズバズバ言うハボックに嫌な気持ちが起こらない。
それはハボックの優しい気持ちが根っこにあると知っているから。
――――――ああ、だからかぁ。優しいんだ、結局。
それを自覚したとき、落ち込んでいたの顔が、花のようにほころんだ。
とても無邪気なコドモのような笑顔。
途端、ハボックは突き上げるような愛しさを感じて、その衝動におもいきり動揺した。
「・・・なんか、元気でた?」
一応普通に聞いたつもりだが、勘がよければ気付かれる。
ハボックは思った。が、は気付かない。
「うん。ハボックと話したら元気出てきた。
ありがとう・・・仕事、戻るね」
幼い頃と変わらない。
鈍感で、素直で、きっとまだ子供のように純粋で。
真面目で真っ直ぐで、好きなものへの素直な気持ちが素直に溢れるところも。
「まいったなぁ・・・」
が立ち去った後もハボックはひとり、
温度の上昇した顔を手のひらで隠してつぶやいた。



