第5話 呼出
強い日差しにうつむきながら、道に落ちた木々の影の上を歩く。
情けないなぁ・・・。
うつむいて、唇をかみしめる。涙が出そうだ。
指導担当の意地悪い人にいいようにされても、
怒る気にもなれず落ち込んでばかりなんて。
それでも、今までなら優しくなぐさめてくれる存在があったのに・・・。
は、思い出して我慢できなくなった。
「お母さん・・・」
目を瞬くと涙がこぼれた。
逃げ出したい。もう何もかもどうでもいいような気持ちになる。
書類がどうでも、この世界は何も変わりはしない。
は深呼吸をして頬をぬぐった。
誰も助けてなんてくれない。
今は、まだまだコドモだから、弱い。大人にならなきゃ。強くならなきゃ・・・。
「・が出勤したら、私のデスクに来るように伝えてくれ」
朝一番にロイ・マスタング大佐が命令した。
意外そうな目を向けたのは、命令された人間ひとりではなかった。
だが、あえて質問するものはない。
いつもなら、かなり早く出勤しているが、今日に限って来ていなかった。
「大佐が新人に何の用事かねぇ・・・」
仕事の雑音にまぎれて囁かれる声。
そこに、が入ってきた。
「おはようございます・・・」
みんなの目が、に集中した。
理由の分らないまま、はその視線にとまどった。
「来たか」
執務室の椅子がキイと揺れる。
机に片肘をつき、頤を支える格好でマスタングはを見た。
空いたもう片方の手には、何か書類の紙を握っている。
「あの、お呼びでしょうか」
「ああ。用があって呼んだ」
緊張しているの様子をマスタングは気にせず続けた。
のほうは、最近の指導役の嫌がらせで、
自分の評価が悪くて呼ばれたのかと気が気ではない。
それ以外に、思い当たることなどないのだ。
「きみは、ヒューズ中佐の推薦で軍に入っているね」
「はい・・・」
マスタングは、紙を見ながら話す。
の身分を証明する類の書類が手元にあるのだろう。
もしかしたら、その人たちにも迷惑がかかるのだろうか?
はますます不安になった。
「短期研修は、アームストロング少佐のツテか・・・」
アームストロング少佐は、家柄からかあちこちに顔が利く。
ヒューズ中佐の働きかけてくれて、は偶然世話になった。
時期外れの研修を受けられたのは、幸運と言うより、周囲の人の尽力だったのだ。
マスタングは世間話をするような軽い調子で口を開いた。
「なぜ、軍に入ろうと思った?」
「・・・それは、どういう・・・」
やはり、思ったとおりだったのか、とは胸が苦しくなるのを感じた。
およそ軍にふさわしくないと報告をされたのだ。そう思った。
悪い報告があって、見過ごせない事態にでもなったのだろうか?
だが、大佐はあくまで軽い調子を崩さない。
「一見いいとこのお嬢さんだからね、君は。
・・・だから興味だよ。なぜ軍に?」
「・・・・・・」
は何と答えたらいいのかわからず、黙ってしまった。
遠まわしに向いてないといわれたと思ったのだが?
だが、マスタングの様子は、そんなふうでもない。
の脳裏に、母親の顔が浮かんだ。
「お父様は、軍の人間だったから」
秘密を明かすようにひっそりと教えてくれた。
しかし、母はそれ以上、父の話をしなかった。
でも、殉職したのならお墓があるはずだ。お金の保証だって。
もしかしたら・・・
父親の存在は、幼いころからずっと心に引っかかっていた。
もし今も父親が生きていたと仮定して。
軍の人間として働いていたと仮定して。
父親は、自分の存在が迷惑かもしれないと仮定して。
だから、他の誰にも知られずに、ひっそりと自分だけ分かればいい。
このことは、誰にも言わない・・・。
「・?質問に答えなさい」
沈黙したままのに、マスタングが痺れをきらした。
「・・・・・・・あの・・・それは・・・」
は突然の質問にうろたえて、うまい言い訳も思いつかない。
もしかして、やっぱりこのままクビにされるのだろうか・・・?
気持ちがいっぱいいっぱいになってきて、は目頭が熱くなった。
母親のことを思い出したのが失敗だ。
抑えようにも、こうなっては止まらない。
「・・・・!?いったい・・・泣くことはないだろう!?」
狼狽したマスタングが言った。
は沈黙したままだ。
涙がぱたぱたと制服に落ちた。
「まいったな・・・何か悪いことでも聞いたか?」
心底参ったような声がした。
「す・・・すみませ・・・」
は自分でも恥ずかしかった。でもとめられない。
うつむいて、顔を手で覆い隠した。
キイ・・・と椅子がきしむ音がした。
絨毯を踏む音が近づいてくる。
「ほら、これを使いたまえ」
覆った手の間から、差し出されたハンカチを見た。
大佐、いつも、手袋してるんだ・・・、
は妙なところに感心した。
「ありがとう、ございます・・・」
受け取ったものの、自分の涙を拭くのに、上司のハンカチは使いにくい。
かといって、自分でも持っているからと断るのも、差し出されてしまった以上は失礼だ。
幸いにもハンカチに驚いて涙は上手いこと止まった。
申し訳程度に頬をハンカチで押さえて、残りは手で拭く。
は、ふう・・・っと呼吸して落ち着かせようと試みた。
大佐は、椅子に戻らずに、相変わらずの前に立っている。
じっとみつめて、様子を伺っていた。
「どうもすみませんでした・・・」
恥じたようにうつむく新人の少女に、マスタングは容赦なく聞いた。
「なぜ泣いた?」
「それは・・・その・・・」
口ごもる。あまりに幼い理由だとは思った。
働く大人として、恥ずかしいことだ。
だが、ロイはじっと返事を待っている。
うまい言い訳を思いつかない以上、何かを言わなければ不興を買う。
言っても言わなくても結果が同じなら、言ってしまったほうが良いようには思えた。
「仕事で失敗して・・・、クビになるのかと・・・」
「はぁ!?」
「あの・・・呼び出される理由が思いつかなかったので・・・それで・・・」
あきれたような大佐の反応に、は自分の思い違いを知った。
一気に熱が上昇する。顔が火照るのを感じた。
顔を赤くして恥らう新人の少女を見つめて、マスタング大佐は唖然としていた。
少し、感情が不安定じゃないか?
おとなしくて、気も小さそうだ。
とてもじゃないが、軍を志す人間には見えない・・・。
ロイの頭の中で、に関する印象が決まっていく。
「・・・それで泣いたのか」
「・・・母親の・・・ことを、思い出して・・・」
口にした途端、おさまった気持ちがまた膨らんできた。
でも今度は泣かない。はこらえた。
「・・・そうか」
ロイは、なんとなく納得した。
軍を志したのは、母親に関係ある。
そしてヒューズの言うとおり、傷は癒えてなどいない。
折れそうな気持ちを抱えて、懸命に生きている少女に、
これ以上の質問はやめようと決めた。
たぶんそれは、ヒューズと同じ気持ちを抱いたということだろう。
軍を志した理由を聞き出せなかった原因に図らずも気付いてしまい、
ついでに自分の甘さも自覚して、ロイは軽くため息をついた。
