第8話 マウロ先生
列車の窓から外を眺める。
見事なまでに果てない地平線。
ここが、とんでもなく田舎だと、嫌でも自覚させられる。
の住んでいた村は、そんな小さな駅のひとつだった。
「あのね、先生のところには私一人で行くから」
「なんで。俺はその間どーしろってんだよ」
が困ったように提案する。
「最初に挨拶に行くおうちで、ちょっと待っててくれるかな?」
「だから、なんで」
そういえば、ここにも一人で来ると言い張ったっけ、とハボックは思い出す。
は少しの間、思案するように黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「・・・私ね、ここですごくお世話になったの。
お金なくても親身に診てくれる先生や、助けてくれる村の人たちに」
「うん?」
ハボックは、の苦労を慮った。
きっと本当に大変だったろう。
「最近いろんな事思い出して、すぐ泣いちゃうの。みっともないよね。
一緒に行けば、ジャンにすごく格好悪いとこ見せちゃうかも。
私・・・・そういうとこ、あんまり見られたくない」
そういうことか・・・
ハボックは納得した。
大佐の忠告が脳裏をよぎったが、
駅を降りたのは自分たちだけだったと思い出す。
「分かった。言うとおりにするよ」
最初に行った家は、のご近所さんで、
例のお姉さんとお兄さんは結婚して夫婦になっていた。
とても体格のいい二人で、がお下がりを貰ったというお兄さんは、
昔、あの細身の服を本当に着ていたのかと疑わしくなるくらいの変貌を遂げていた。
「久しぶりです。その節はお世話になりました」
ぺこりとがお辞儀した。
「よせやい、水臭い」
「そうよ、ちゃん大変だったのに・・・」
お姉さんが、涙交じりに声を詰まらせた。
どうやら、すでに事情は知っているらしい。
「あのね、こちら昔お世話になった方で、今の職場の先輩なの」
「どーも、ジャン・ハボックです」
夫婦は、ここで少し強張るような表情を見せた。
「今の職場って・・・軍、って言ってたよね、ちゃん」
「軍人さんか?」
ここでも、軍の評判はあまりよくないようだ。
「母が元気な頃、お世話になった雑貨屋さんの息子さんなの。
・・・今日は非番だから、仕事は関係ないよね?」
「んあ?まあな」
おおらかそうなハボックの様子に、夫婦は少し安心したようだ。
が、先生のところに行く、と言って出て行ってから、
ハボックに親しく話しかけてきた。
「あんなことがあってすぐ、引越してね」
「うちが荷車を出して、手伝ったんです。
・・・・・今まで二人で住んでたのが急に一人じゃ、寂しかったんでしょうねぇ」
人のよさそうなご近所さんだ。
ハボックはタバコをくゆらせながら話を聞いた。
「マウロ先生、お久しぶりです」
「・・・」
白髪交じりのドクターは、を見て複雑な表情を浮かべた。
「軍人になったと聞いた・・・
まさか、国家錬金術師になどなってはいないだろうね」
は、その言葉に苦笑した。
「いくら先生に教えて頂いたからって・・・・、
先生のお仕事の手伝いの片手間で学んだ知識で、受かるとは思えません」
憔悴してため息をつくドクター。は、この反応を覚悟していた。
彼はドクター・マルコーという国家錬金術師だったのだ。
詳しくは語られなかったが、軍に嫌気が差して離れたので金輪際関わりたくないと、
マルコーが言ったことがある。
その時のただならぬ気迫に、訳が判らないながらもは不吉なものを感じた。
今日、がここにハボックを同行させなかったのも、
母親の事件ですぐここを頼れなかったのも、
軍に対する異様なまでの恐れを抱くマルコー医師を気遣ったためだ。
「お聞き及びかと思いますが・・・先日母が亡くなりました・・・」
「聞いているよ。大変だったろう」
マルコーの口調は、苦しみに耐えるような物言いだった。
「・・・・何もしてあげられずに・・・・すまなかった」
ああ、やはり先生は軍に関われない理由があるのだ。
は確信した。
「先生は・・・軍で何があったのですか?」
の質問に、マルコー医師は、一層打ちのめされたような顔をした。
「それは・・・今語ることはできない。
ただ、私はに言わなきゃいけないことがある」
思いも寄らない言葉だった。
先生が、言わなければいけないことがある?
「・・・。君のお父さんを知っている」
瞬間、の身体にものすごい衝撃が走った。
――――――今、先生はなんて言ったのだろう?
呆然として、言葉が出ない。
「・・・軍人だったが、いい青年だった。
育ちも良く、穏健派だった将校に可愛がられていたが・・・・」
「穏健派・・・・?」
どこかで聞いた言葉と思いながら思い出せない。
「イシュバールとの対立が激化したとき、外交による鎮火を唱えたのが穏健派だ。
その代表とも言うべき将校の部下だったのが、君の父親だ」
ああ、そんな話を聞いたことがある。
軍部の研修のときか、それとも歴史の授業か・・・
「父は・・・・」
「内乱の混乱の中で、命を落とした。
・・・偶然だったが、見取ったのは私だ」
倒れていく軍人達が、実験用モルモットになっていることを知っていた。
だから、そうさせないために、死体はあえて放置した。
・・・・・だが、マルコーはその真実までを言うことができなかった。
「事情があって、遺体は回収できなかった。すまない・・・・」
「先生・・・・・」
はあまりのことに言葉が出てこなかった。
氷で身体を貫かれたような衝撃。
父親の存在を確かめたくて軍人になったのに。
いきなり目標を絶たれて、
はどこまでも深い暗闇に落ちていくような気持ちがした。
なんだか気が抜けたようになって戻ってきたに
ハボックは気がかりを感じた。
――――――――――やはり一緒に行くべきだったかな?
だが、今となっては手遅れだ。
近所の夫婦は、のいない間の家の管理をしてくれていた。
「ちゃん。これ、お母さんの持ち物の入ったトランク」
「ありがとうございます・・・」
「・・・本当に、もう戻ってこないつもりかい?」
人のよさそうな夫婦は、なんだか落ち込んだように顔を見合わせた。
「いっそウチで暮らしてもって、話してたんだよ」
は考えていた。
自分が軍人になった以上、マルコー医師には会ってはいけない。
そうでなければ、先生に気持ちの平穏は訪れないような気がした。
優しい故郷への想いが絶ち難いと、迷うこともやめたはず。
だから、今日はその挨拶。
別れを済ませた今、二度とここへ戻ることはない。
自分の探していた答えを見つけてしまったけれど。
正直、こんな形で知ることになるなんて思わなかったけど・・・
「今まで、本当にありがとうございました。
残ってる家財道具の処分は、お任せします」
「・・・いつでも待っているから。戻ってきていいように」
夫婦は、静かに言った。
この人達は、本当に毎日あの家を掃除して、
いつでも住めるように整えておいてくれるのだろう。
柱が傷めば補強して、窓が破損すれば差し替えて。
暖炉の調子も、雨漏りがしたら屋根の修理も。
と母が長く暮らした、あの家を。
帰らない主の家を。
はこみ上げてくるものを抑えて、頭を下げた。
