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やっぱり私は、この世界では強運だ。
お金を一銭も持ち出さずに居酒屋を出たのは、何かの算段があるわけでもなかった。
かといって、社会の掟を甘く見たわけでもない。
帳簿を見てため息をついていたおばさんの顔を思い出して、手を出せなかっただけ。
でも実際なんとかなっている。
お金がなくても歩けばいいと思って、とりあえず隣村まで歩いた。
川の水を飲んで、道々にある苔桃をつまみ、線路沿いに進んだ。
でも数日たつ今日なんかはさすがに疲労がひどくなってきた。
隣の駅まで、と思ったものの、さすがに遠くて。
お腹もすいて、へたり込んだら馬車が通った。
「どこまでいくんだ?可愛い女の子がひとりじゃ危ないよ」
かなり先まで行くその馬車の、旅の道連れにと誘われた。
「けっこう距離が長くて、退屈なんだ。仕事だから仕方ないがね。年寄りにはきつい」
「手伝えることがあれば言ってください。荷物は何?」
「なんだかよくわからんよ。教主様へのお供えらしいが、金持ちの考えることなぞ・・・」
「教主様?」
「ああ。太陽神レトの代理人、コーネロ教主。東の端の町で最近流行ってんだよ。
そのために中央の流行りものやら貴重な品やら取り寄せて寄付する金持ちがいる。
運ぶのも時間がかかるし、一人じゃ旅もつまらない。金が良くなきゃやらないさ」
聞いたことなどないはずなのに・・・どっかで聞いたことあるような・・・・
教会へ行くと、太陽神と思われる像が杖を天に向けている。
この場所について、馬車のおじいさんとは別れた。
彼は、いつかまたここに商売で来るかもしれない。
さて、これからどうしようかな。
教会ってことは、貧しいひとに施しや救済が与えられてしかるべき。
お腹をすかした者にはパンを、
寝床のないものには一夜の宿を。
映画で見た。成功を勝ち取ったアメリカンドリームの実業家をモデルにした映画。
彼はどん底の生活を強いられてホームレスになったとき、教会を利用するの。
―――――――――修道女になって、ここにいるのも手かもしれない。
ふと思いつく。ここで宗教活動をする。奉仕と救済活動。
厳しい規律に縛られるだろうけど、けっこう平和に暮らして行けそう。
教義や主旨が合わなかったら・・・?
でも、サウンドオブミュージックの主人公は、見習いだったから結婚できたし。
どっちにしても私は異教徒どころか異世界の人間だし。
多分、この世界じゃ殺されても死なない。・・・ような気がする。
この世界での度胸もだいぶ据わってきた。
心は決まった。どっちにしてもあてのない身の上。
ふらふらしてるうちに、また女衒に捕まったら・・・そっちのほうが怖い。
幸い、あっさりと修道女の手続きはできた。
身寄りがない独り身の女性は珍しくないご時勢なのか、大した詮索もされない。
事情の複雑な人間は、あんがい多いのかもしれない。
修道女の服装は黒いロングドレス。頚肩を覆う白襟と黒の頭巾。黒い靴。
キリスト教のシスターと同じような姿になって、朝の5時から掃除をする生活。
朝はさすがに辛いけど、娯楽が何もない世界だと、規律正しく生きるのも楽だと知った。
掃除の後は孤児への奉仕活動をして、質素な食事をして一日が終わる。
ココに来て何日でもないけれど、毎日、忙しくて仕方ない。
「、手伝いに来たの。奉仕活動は大切よね」
「ロゼ。ありがとう」
「修道女になるために、世俗を捨てるってすばらしいわ。私には無理」
「捨てるものって・・・私の持ち物は、あなたにあげた服だけだもの」
ロゼがにっこり笑って、くるりと回った。
以前は私が着ていた白いワンピースのスカートが、ふわりと広がる。
たいていの宗教がそうであるように、修道院に入るには財産を喜捨しなければいけなくて、
財産のない私は、身に付けていたものすべてを寄付した。
その際、ワンピースはここを紹介してくれた彼女へ、とお願いした。
他に、あげられるものが何もなかったから。
ロゼははじめて会ったのに、なんだか知ってる人みたい。
恋人を想って入信した彼女の事情を聞いたとき、初めて聞く話とは思えなかった。
「今日、ここにくる途中で錬金術師に会ったのよ。探し物してるんですって。
錬金術師は科学者だから、神を信じないんですってよ!神に対して失礼だわ」
憤慨してロゼが言う。
怒る理由はわかる。誰だって、信じたものを否定されて気持ちいい人はいない。
「そういえばは、奇跡の業を見たことは?今日、広場で見られるのよ」
正直に首を振る。
はっきり言って、教義の内容すら把握しきれてない。
修道女なんていっても、いい加減なものだと自覚している。
「他の修道女に断って、奇跡の業を見に行きましょうよ。きっと許可がおりるから!
修道女で一度も奇跡の業をみてないなんて、くらいよ。きっと」
黒のロングドレスと白い襟の修道服に身を包む私は、外見だけは立派なシスター。
その姿のまま広場へ行くと、大抵の人は敬う視線を向けてくれる。
広場の中央に、コーネロ教主の奇跡の業が繰り広げられていた。
群集に降り注ぐように花が舞い散って、なんて綺麗・・・。
「あ」
ロゼが小さく声を上げた。
群集の中から見知った顔を見つけ出したらしい。
「お二人とも来てらしたのですね。どうです!奇跡の力でしょう」
コーネロ様は太陽神の御子です、とロゼが話しかけているのは、大きな鎧と、小さな少年。
さっき話していた科学者な錬金術師・・・?
「いや、ありゃーどう見ても錬金術だよ。コーネロってのはペテン野郎だ」
ロゼが真っ正直にムカっとしたのがわかった。
赤いコートの少年の、歯に衣着せぬものいいは、あっけらかんとしてて悪意はない。
でも宗教に関しては、信者は信じてるのだから怒るのも無理はない。
「でも法則無視してんだよねぇ」
鎧の声は、思ったよりずっと幼かった。
「法則?」
素直なロゼが問いかけると、大きな鎧が親切に説明してくれる。
「一般人が見たら錬金術ってのは無制限に何でも出せる便利な術だと思われているけどね。
実際にはきちんと法則があって・・・・」
説明に混乱するロゼに、赤いコートの少年が答えを言う。
「つまり錬金術の基本は等価交換!!
何かを得ようとするなら、それと同等の対価が必要って事だ」
等価交換・・・
ぐらり、視界が揺れた。
回る頭の中で記憶がよみがえる。
この異世界に飛ばされる前に通ってきた白い影、真理の扉。
―――――――――真理の、扉・・・?
目の前の靄のような人影が、言った。
『等価交換だからね』
「!!」
ロゼの叫びに、はっと我に返る。
気が付くとしゃがみこんだ私をロゼが支えていた。
「!大丈夫?奉仕活動で疲れていたのかしら。急に倒れるなんて!」
額を触ると、冷たい汗で濡れている。
体温は下がって、貧血になったみたい。
「大丈夫か?顔が青いぜ」
「ボク、運んであげるよ。ロゼ案内してくれる?」
赤いコートの少年と大きな鎧が言う。
思考が働かないまま、そっと抱きかかえられる。
「って言うの?はじめまして。ボクはアルフォンス・エルリック」
「俺はエドワード・エルリック」
「ねえ、。エドは国家錬金術師なのよ」
アルフォンス、エドワード、ロゼがかわるがわるに話す。
自己紹介を受けながら、修道院までの道を運ばれていく。
抱きかかえられて歩きながら、思い出した。
捻挫した私を、ハボック少尉が居酒屋まで送ってくれた。
雨の中、こんなふうに抱きかかえながら・・・。
私はそのとき、大佐を探している途中だった。
あれからそんなに時間はたってないはずなのに
今思うと、笑ってしまうくらい懐かしい。
「修道院に寄った後、教主様のところへ案内しますね!」
彼らに話すロゼの言葉に、私はおや?と首を傾げる。
だって、宗教は信じない科学者だって言ってたんでしょう?
「信じてくれて嬉しいですわ!教主様とお話すれば、もっと深く理解できますから」
にこにこと語るロゼ。
どうやら、彼らは宗教に興味を持ったらしい・・・?
腑に落ちないけど、そういう理由なら。
「・・・私も一緒に行ってもいい?」
「も?身体の調子は?」
「大丈夫。私、教主様のお話、きいたことないの」
「まあ!そうなの?奉仕活動ばかりしているからよ・・・いいわ。一緒に行きましょう」
道順を変更して、教会へと向かっていく。
「俺、今まで宗教とか興味なかったけど・・・」
「これから興味を持てばいいんですよ!」
ロゼの元気な言葉に、エドは言葉を詰まらせて、言い直した。
「そうじゃなくて。・・・・・興味なかったけど、修道女が孤児に一生懸命世話する姿とかは・・・
なんていうか、清らかなものを見た気持ちになったよ」
エドの言葉は、私に向けられているんだとわかった。
そっと微笑み返すと、エドは少し顔を赤らめて目をそらす。
その反応は、最初に会ったころのハボック少尉と似ている・・・?
デジャヴに似た感覚。
可笑しくて、アルに笑いかける。
「って綺麗。・・・・美人て言われない?」
「こらこら。世俗を捨てたシスターを口説いちゃ駄目よ、アル」
アルの言葉にきょとんとする私。
ロゼが可笑しそうにアルに言う。
清楚な身なりはしてるけど、なりたての信仰心薄い見掛け倒しの修道女。
厳しい修行だって、たいしてしてない。奉仕活動も日が浅い。
教主様と言葉を交わしたこともない。
こんな私でも『世俗を捨てたシスター』なんだなぁ・・・
「・・・は、なんで修道院に入ったんだ?」
エドの質問・・・・うん。素朴な疑問かも。
それでも私は、何も答えられなかった。
食べ物のため。寝床のため。身元不明の怪しい身分を隠すため。
『生きていくために』と、正直に答えたら、ロゼが反駁してきそうで。
困ったように黙っていたら、ロゼが口を開いた。
「ほら。見えてきました。教会です」
