序章10
ハボック少尉の手が止まって、私の胸元を見ていた。
―――――――――いつもの散歩の途中で、雨が降ってきて。
これはまずいと思って急いで帰る途中、少尉に会って、
そこから逃れようとしたときに、転んで足をくじいた。
厚手のシャツを重ねてきていたけど、濡れて身体のラインがハッキリしてた。
少尉は私のことを男の子だと思って親切にしてくれている。それを失うのが怖かった。
抱き上げられたときも、とっさに胸を腕でかばった。
少尉は何も気付かずに私を部屋に入れて、いつもと変わらず親切にしてくれた。
でも替えの着替えとタオルを出されて、受け取れなくて
それを遠慮だと誤解した少尉が、無理に服を替えさせようと手を出してきて
抵抗したけど、足が痛んでうまく動かない。
とうとうはだけてしまった服の奥の下着をみて、少尉はさぞびっくりしただろう。
ハボック少尉は目を大きく見開いて、動きはまったく止まってしまった。
私は椅子の背もたれに押し付けられたまま、事の成り行きを見守る。
本当は恥ずかしいから、あんまり見つめて欲しくない・・・足が痛い・・・
困って目をそらして身を固くする。
我に返った少尉が、ぱっと手を放してしどろもどろの早口で言った。
「悪い!俺、気付かなくて・・・隣の部屋にいるから、済んだら声かけろよ!」
そのままあわてたように隣の部屋にかけこみ、扉を閉める。
テーブルの上には、たった今もって来たばかりの氷嚢と救急箱が、そのまま残されている。
私を弟のように面倒をみてくれた優しい少尉。
こんなふうにばれちゃったら、もう今までどおりは無理かもしれない。
自業自得。でも寂しかった。・・・・怒らせたり、したんだろうか?
タオルと着替えを借りる。下着は替えられないから、ぬれたまま。
早くちゃんとしないと、本当に風邪をひいてしまうかも・・・・寒い。
「少尉・・・・」
着替えを済ませて隣の部屋へ声をかけると、勢い良く扉が開いた。
顔を赤くしたハボック少尉が、困ったように私を見てる。
「・・・・・少尉、ごめんなさい・・・・私・・・」
なんていっていいのか分からなかったけど、謝らなければと思った。
「お、俺のほうこそ、どおりでおかみさんや坊主と話がすれ違ったりするわけだよな。
思い込み激しくて・・・さっき、ごめんな。驚いただろ。困ってたもんな」
少尉が早口で言う。この人は本当に、なんて優しいんだろう。
でも顔は赤いままで、視線も真っ直ぐは見てくれない。
いい気持ちはしていないかも・・・・黙ってたことを怒ってるかもしれない。
「・・・・送ってくよ、居酒屋まで。足、大丈夫か?」
その言葉に、黙って頷く。
足はずきずきと腫れて、本当は足をつくのも、どんな姿勢も辛かった。
ハボック少尉はしばらく何か考えるようにじっとしていたけど、
やがて黙って私を抱き上げた。軽々と、まるでおもちゃみたいに。
すごい力持ちなんだなぁ・・・
驚いて少尉を見つめる。
「だから・・・そうやってみつめないの!」
言われて視線をあわててそらす。
初めて会ったときもおんなじようなことを言われた。
それでも気になって、ちらちらと伺ってしまう。
少尉は全然私を見てくれなくて、赤い顔のまま、難しい顔をしている。
・・・・・なんだか、怖い顔。怒らせたのかな。
少尉が私を抱きかかえて、雨の中を歩く。
土砂降りは少し落ち着いてきたけれど、相変わらずしとしとと降り続ける雨。
居酒屋の明かりがみえてきた。少尉が一言も口をきかない。このまま別れるのはいやだ。
「少尉・・・怒ってる?」
たまらなくなって、小さく言った。
ハボック少尉が、ようやく私を見てくれる。驚いたような顔。
「どうして?」
「・・・・さっきから顔を赤くして、ずっと黙ってる」
「それは違うよ・・・・怒ってない。顔は別の理由だから」
「・・・・言わなくてごめんなさい」
頑張って話した。
少尉はいつもみたいな優しい声で、私は少し安心した。
知らない人ばかりの世界で、誰かに見捨てられるのは、すごく怖い・・・
少尉はおばさんたちに夕飯を振舞われてて、何か話していた。
私はしばらくそこにいたけど、夕方の開店時刻が近いから、裏へ回る。
「はいいから、着替えてあったかくして足冷やして寝てな。
2,3日は動かないほうがいいかもしれないぞ。足首見えないくらい膨れてる」
「ごめんなさい、おじさん・・・」
少年に支えられて、寝床へ向かう。
全部着替えてベットにもぐる。
少年が持ってきてくれた氷で、足首だけ毛布から出して冷やす。
「ごめんね。ありがとう・・・」
「ゆっくり休んで。氷とけるのが早いみたいだから、また持ってきてあげるよ」
熱を持った足首は、どんどん氷をとかしていった。
氷だけの水袋が、もう液体を含む柔らかい袋になっている。
よっぽど熱かったに違いない。
少年の持ってきた氷嚢は、最初氷だけだったから固くて驚いた。
そういえば少尉の氷嚢はちゃんと水も入ってて、足首にフィットするようになってたっけ。
いつもいつも、運命の人と信じて、最初に出会った黒髪の男の人を探していて
そんなときなのに、困ったときに助けに現れてくれるのは、いつも必ずハボック少尉で。
ねえ。ここに来てから、もうずいぶん経ったよ・・・
あの時、また会えるって予感がしたのは気のせいだったのかな?
会いたいのに・・・どうしても会えない。
いつまで、頑張ればいい・・・・?
痛みに耐えながら、ゆっくりと寝返りをうつ。足が痛い。
軽く咳がでる。足に響く。今は何をしても足に負担がかかるみたい。
朦朧とする意識。ぼんやりと痛みだけを感じていた。
翌日は、雨に濡れたのと足の怪我で体調は最悪。
この世界に来て、こんなの初めてというくらい具合が悪かった。
「熱、高いね。雨で冷えたのかねぇ・・・足も悪いし、ゆっくり休んでなさい」
おばさんが濡れたタオルをおでこにのせてくれて、足の氷を交換してくれる。
私は頭がぼうっとして、呼吸がおかしなくらいはやい。
食欲もなくて、おばさんが作ってくれたスープも少しだけようやく口に運んだ。
この世界に来てからずいぶんたった。
まったく知らない世界に来てるのに、この展開は運がいいと信じてる。
でも・・・・それでも、たまった疲労があったのかもしれない。
言葉に不自由なことや、知らない世界・文化の中にいる緊張感。
意識してなくても普通なら結構しんどい状況に違いないもの。
うつらうつらと意識がまどろむ。
どのくらい時間がたったのか分からないけど、意識は混沌として、
なんだか、現実と夢を行ったりきたりしている。
「・・・・起きてる?」
夢うつつに、少年の声を聞いた。
でも夢か現実か分からなくて、返事をしないで黙ってた。
だるくて、億劫だった。
「だめ。は寝てるみたいだよ・・・ハボック少尉、どうする?」
「うん、じゃあ寝顔だけ見て、起こさないうちに帰るかな」
近づいてくる足音。
側で椅子を引いて腰掛ける雰囲気を、目を閉じたまま感じた。
「具合悪そうだな・・・呼吸が荒い。可哀想だな」
「昨日の夜から、だんだん悪くなって・・・もう少し様子見て、医者を呼ぶか考えるって」
「そっか・・・」
少年と、ハボック少尉の声・・・・
夢の中で聞いたような気がした。
そこからまた、意識は途切れたまま。
額にふと何かを感じて目を覚ます。
大きな手のひらを額に感じる。
「あ・・・悪い、目覚めちゃったか」
「・・・・・少尉・・・」
タオルを交換してくれたらしい。
額が冷たかった。
「私・・・どのくらいこうして・・・」
「俺が来てから15分くらいかな。ずっと寝てた。まだ具合悪いだろ。
いいから、もう少しゆっくり寝てな。寝るまでついててやるから」
ぼうっとした顔と荒い呼吸。
何も考えられなくて、黙って目を閉じる。
夢の中に出てきた人は、最初に会った黒髪の人。
・・・・・どうして、ハボック少尉じゃないの?
私は今側にいてくれて、助けてくれる人が、すごく大事なはずなのに。
私はなぜここに来たの?
何か理由があったの?
せめてここに来る前に見た世界で聞いた言葉、白い人影がつぶやいた。
それだけでも思い出せたらよかったのに・・・
夢のなかでさまよいながら、まどろむ。
いつのまに意識を手放したのか分からないまま、私は眠りに落ちていった。
