序章11 side roy
『最近、マスタング大佐は書類の仕事が速くなった。』
そんな評価を得られても大して嬉しくもなく、淡々と仕事をこなす自分がいる。
何もかもどうでもいいような気がした。なのに何かしてないと落ち着かない。
でも、結局仕事に逃避しているだけで、現状は変わらない。
「大佐。こちらもお願いします」
「わかった・・・・そこに重ねておいてくれ」
ホークアイ中尉が書類を持ってきた。
それを置いたのに、彼女はまだ退室しない。
しばらく手元の書類をこなしていたが、いつまでも立っているので視線を上げる。
いつもの無表情な中尉が、目の前にいた。
「どうした?何か報告でも残っているのか」
「いえ・・・・・ただ、大佐の様子が最近・・・真面目なので」
「君の望む上司は、書類をきちんとこなしてくれる人間じゃないか」
「それはそうですが・・・」
迷うような視線を感じたが、そのままにして書類に目を通す。
書類に追い掛け回されることを厭う以前の自分より、はるかに有能だと思うのに。
何で皆揃って様子を気にかけるのか。理解できない。
仕事に逃避しているのも、彼女を思わなくていいからだけじゃない。
仕事を熱心にすることで、初心に戻りたかった。
「・・・・今の大佐は、なんだかお疲れのように見えます」
「そうかな。じゃあリフレッシュのために、デートでもしてこようか」
冗談のつもりだったのに、中尉が眉をよせてため息をついた。
笑えないどころか、本気で心配されているらしい。不思議だ。
そんなにいつもと様子が違うんだろうか。
そんなときに、執務室に電話が鳴った。
「私だ」
出ると、受付から内線で、女性が訪ねてきたという。
覚えのない名前に首を傾げる。
「どんな女性だ?用件を言っていたか?」
受話器の向こうの受付嬢は、心なしか固い声で答えた。
『用件は、大佐本人にと仰っています。格好は・・・その、派手なドレスで・・・』
ハッキリしない相手と面会するほど酔狂ではないが、もしやと思って受付に行く。
受付情が言いよどんだ理由が分かった。
「これはこれは・・・お久しぶりと言うのかな。こんなところにいらっしゃるとは」
目の前には、一度だけ足を踏み入れた私娼街で、私の相手をした女性。
若草色のドレスの娼婦は、少し恥じたように縮こまった。
そんな様子に少し同情する。
この服装で昼日向、外を出歩くのはとても目立つ。
周囲の視線や心無い言葉に、嫌な思いもしただろうに・・・。
「何か御用ですか?・・・その節は、こちらもお世話になった」
少し救われたように顔を上げる若草と、まぁという視線を向ける受付嬢。
その対比が面白くて、少し笑った。
「実は・・・大したご縁でもないのに、こんなところに押しかけて申し訳ないと・・・」
その言葉に、受付嬢が若草色のドレスの女性をぎょっと眺める。
大した縁でもない上に、見るからに堅気じゃない女性を取り次いだのか?という不安か。
「ですが、他にお会いする方法を知らなかったので。あの時見た軍服を頼りに、ここに・・・」
若草の言葉に、受付嬢は目を丸くして事の成り行きを見守っている。
「構いませんよ。わざわざ昼日向に出向いてくださった。・・・お茶でも?」
「いいえ、外では・・・」
見るからに花を売る女性と大佐の地位の軍人が、昼のカフェで一緒にいれば人目をひく。
この女性は賢いと思う。
頼みごとだとすれば、よほど進退窮まってのことだろう。
「では、私の執務室でお話を聞きましょう。受付の横にある応接室より散らかってますが」
「構いませんわ」
「そこなら二人きりです。貴女も話しやすいでしょう」
受付嬢の食い入るような視線と、感謝の眼差しを向ける若草の視線を両方受けた。
若草色のドレスの女性は、どこか緊張した面持ちで背後をしきりに気にしていた。
何があったんだろうか・・・?
執務室に向かう途中で、ホークアイ中尉がすれ違う。
後に従う娼婦の姿に、一瞬目を瞠るものの、すぐに平静を装うのはさすがだ。
「二人分、お茶を用意してくれるか。執務室に運んで欲しい」
「承知しました」
軽く頭を下げて見送る中尉を後に、若草色の娼婦と執務室に入る。
執務室の机の前にある椅子に、彼女を促した。
「・・・・さて、ご用件は?」
「・・・・・あの・・・以前、たずねていらしたときの事、何か進展はあったでしょうか?」
意外な言葉に目を見開いた。
何か頼みごとをされるかと思っていたのに、まさか行方不明の人間の消息を気にして?
「いや。君から聞いた話で最後、何も・・・」
「そうですか。軍の保護下に、というのは嘘ですか」
「軍の・・・?」
その言葉に眉をひそめる。それを見て何かを思案するような若草の娼婦。
やがて吹っ切ったように、顔を上げた。
「旦那が探していた女の子、実は私は逃げたこと知ってたんですよ」
「な・・・」
「その後どうなるかは、運しだい。うまくいけばいいって、思ってはいましたけど。
・・・あの子はうまくいったようなんですよ」
「そう、か・・・。それで?彼女は今、どこに?軍の保護下とは?」
みつかった喜びよりも、事実確認を優先してしまう。
本当にみつかったのか、手の届くところに彼女がいるのか。
ぬかよろこびは、たくさんだった。この情報はどちらに転ぶか分からず、戸惑う。
「場所は私も知らないんですがね。女衒が街で逃げたあの子を見つけたときに、軍人が・・・
その子をかばって、助けたって言うんです。そのとき、その軍人が・・・」
「軍の保護下にある、といったのか・・・」
街で再び売人と遭遇するとは・・・・。
でも、逆に軍人に助けたれたというのなら、これ以上ない運の強さだ。
「あの子にご執心だったのは旦那ですからね。軍の保護下なら旦那の差し金と思われて」
話がだんだん見えてきた。
誰か知らないが、売人に捕まった少女を気転を利かせて助けた軍人がいた。
そのせいで、逃した高い商品を私が横取りしたと、売人は思っている。
「もし仮にそうだと言ったなら、私は彼らにどんな仕打ちを受けるのかな?
商売に口を出すなと脅しをかけられるかな」
「そんなこと、私は知りませんよ。お得意様になら文句も言わないでしょうけれど」
「そうか。わが身を助けるなら、君のお得意様になればいいのかな?」
思わず微笑みかけると、若草色のドレスは首を傾げて目をきょろりとさせた。
なんとなく微笑ましい仕草だと思った。
「あの時は憔悴したままお帰りで。抱きもしないお客なんて、旦那が初めてでしたからね。
それでお金だけ落としてくれたら、こっちは楽でいいですよ。でもねえ・・・」
見るからにそういうとこで溺れてくれる人間に見えない、と続ける。
女性に不自由してなさそうだ、と。
そんな言葉に、声を上げて笑ってしまった。
「それで?君は、あの行方不明の彼女についてどのくらい知ってるんだ?」
「知ってることは・・・大してないですよ」
「彼女が逃亡したのを売人に言わずに見逃しているね。それと同じように・・・
今回、売人が知らないことを何か知ってるんじゃないのか?」
彼女の、私の真意を測るような視線が、じっと向けられて動かない。
しばらくみつめていた彼女は、それをふと逸らして窓の外を見た。
「・・・・ま、いいか。旦那なら信用しますよ。何せ素人のくせに裏の街まで追ってくる。
そのくらいの執心で想っていたんですからねぇ。でも私もわが身がカワイイんで・・・」
「君から聞いたことは、誰にも言わない。私だけの胸のうちに留めておこう」
「ほんとに僅かしか知りませんけどね」
若草のドレスが話し始めた。
逃がした居酒屋の少年の話は初めて聞いた。
私が買ったとき、彼女は保身のため言えなかったのだ。
「その少年の家で、匿われてるのか」
「そうなんです。その子の店から、うちに酒をおろしたりしてたんですがね。
今回の事があって、取引を他の店に変えて接点がなくなったんですが・・・」
その少年が空き瓶の回収にやってきた。
若草のドレスは、ことの顛末をその少年から聞いたのだ。
「ピアノを弾くんですって。言葉も、少し話せるようになったようですよ。
どうやらお嬢様らしくって、でも良く働くいい子だって言ってましたねぇ」
「そうか・・・・で、名前は?」
そう問いかけると、不思議そうに目を見開く若緑。
「本当に、あれだけ執着してらしたのに。名前もご存知ないとはねぇ」
「女衒から匿ったのは私じゃないが、助けようとした私も名前を知る権利はあるだろう?」
「別に権利だのなんだの持ち出さなくても、今更内緒になんかしやしませんよ。
本名じゃないんですが、・って名乗ってるようですよ」
本名じゃない?
その疑念が顔に出たんだろう。若草が言葉を続ける。
「どうやら、便宜上死んだ人間の名前をもらったとか」
死んだ人間、という言葉にぎょっとする。
どうやら彼女を助けた少年の、姉の名前と聞いて納得した。
若草がふっと笑う。
「本当にねぇ。あの子は嫉妬するくらい運がいいですよ。どんな星の下に守られてるのか。
旦那のことといい、助けた少年や軍人の話といい・・・私もあやかりたいもんですねぇ」
「あやかりたいなら、あやからせてやろう。何か望みは?」
そういうと、若草がびっくりしたように顔を上げた。
そんな利益は、何も期待していなかったんだろうか?
言葉ではいろいろいう割に、けっこう慎み深い心の持ち主だ。
「・・・・そうですねぇ。私は今回のことで売人に、その・・・疑われてましてね」
口ごもる彼女に、合点がいった。
背後を気にしていたのも、最初様子がおかしかったのも・・・考えれば当然だった。
私が買った娼婦だ。直前まで逃げた少女と一緒にいたのも、この女。
その後に、逃げた少女が軍人の保護下と言われている。
売り物を逃がした手助けをしたか、見逃したと思われても不思議じゃない。
「すまない・・・私が買ったばかりに、迷惑をこうむったんだろうか」
「いいえぇ。それが私の商売ですからね。私は旦那に何も言わなかったわけですし」
「何か出来ることはあるか?」
「そうですねぇ・・・」
視線を下に向けて、口ごもる。
そんなときに、トントンと扉を叩く音がした。
「入りなさい」
促すと、二つの茶を運ぶ中尉が入ってくる。
「遅くなりまして」
「いいよ。そこにおいてくれ」
盆を置いて退室する中尉を見送って、若草に視線を戻す。
「遠慮なく言いたまえ。何を望む?」
「そうですねぇ・・・それなら・・・私たちは皆、私娼街の外にでることは禁止されてますから。
お客連れでもなきゃ滅多に外を歩けない。旦那が誘い出してくれたら嬉しいですねぇ。」
片手を頬に添えて悩むように、若緑がようやく言った。
その希望はあまりにもささやかで、彼女の苦労がしのばれた。
「私が誘えば外に出られるのか?今日はどうやってここに来た?」
「ですからね・・・売人に上手いこといって、旦那に会いに来たんですよ」
「・・・・・なんだ?上手いことって」
「だから、奴らに対しての言い訳ですよォ。少年の話じゃ、旦那の話が出ないから・・」
その言葉の意味を汲むのには、少し時間がかかった。
意味を真実理解したとき、ある種の感動が身体を廻った。
「・・・わざわざ危険を冒して私に知らせに来てくれたのか」
若草がにっこりした。
「もしかしたら、本当に旦那が指示したのかとも思ったんですけどねぇ。
カマかけてみても全然そんな様子がないんで、お教えしたほうがいいと思って。
あんまり憔悴してたから、あれから心配してたんですよ。
自殺でもしそうなほど落ち込んで・・・」
そんな台詞を聞いて苦笑する。
私は自分の命を、そんなふうに粗末にはしない。
「ありがとう。君の良いようにさせてもらう。希望があるなら、なんなりと言ってくれ」
とりあえず一緒に街を歩くことだろうか?
最近、司令部に閉じこもって書類ばかりやっていた。
久々に外に出向いた仕事をしてみようかと、ふとそんな気持ちになった。
あの時に出会った行方知れずの彼女は、同じ街にいる。
口が利けるなら、その声を知りたい。
