序章13 side roy



カツン、と石畳の玄関で靴が音をたてる。
今はちょうどランチが終わって店が休憩している時間らしい。
店内に人気はなかった。


奥からピアノの音がする。
ゆっくりと、店の扉を開ける。
少しだけ開いた扉の狭い隙間から、薄暗い店内に光が差し込む。


扉を開いたぶんだけ、ピアノの音が大きくなった。
指の練習?なめらかな音が空気にすべる。


後姿を見た。
ピアノに向かっていたのは、あの日別れた彼女だった。
見間違えることなく、すぐにわかったことを、我ながらスゴイと思う。


初めて会ったときの彼女とは、外見がまるで違っていた。
少年の服装に身を固め、長くて綺麗な髪の毛は短く切られている。



独特の雰囲気だろうか?
どこにいても、離れていても、たとえ姿かたちが変わっても・・・
彼女を見間違えることは、何故かありえないと思った。



あの日の光景がフラッシュバックする。


テロ組織のアジトのひとつがみつかって、襲撃をした。
ほとんどのテロリストが怪我をしたか、逃げてつかまった。

彼女は、ほぼその騒動が鎮火した中で、保護された。
どうやってあの喧騒のなか無事だったのか、未だにわからない。
しかも保護された場所は・・・・・・




青の団の中心人物にとても近い人物を逮捕・拘束した直後、
このアジト自体に意味がなくなったので、テロリストを一掃する意味でなぎ払った。


彼女がいたのは、いわゆるアジトの中心部。
誰かいれば決して見逃すはずはなかった場所。



テロリストにはとても見えず、おびえて口も利けなくて、心細そうに震えていた。



病院に収容されたテロリストは皆、柵付きの病室のある軍事病院に入れられた。
だが、徹底した男尊女卑を貫く青の団に、女性のテロリストはありえなかった。
テロリスト名簿にも、それらしい記載はない。



会話ができず、名前もわからず、記憶も定かでない。





テロの壊滅現場に忽然と姿を現した彼女を、一般病院に収容した。
その後、女衒が彼女を病院から引き取って、娼婦にしようとした。
この居酒屋の少年が、それをみつけて彼女を助け出した。


彼女は街中で再び女衒に会うものの、どこの所属かわからない軍人に助けられた。
今は公的に、この居酒屋で匿われている。




運がいいのか悪いのか。
彼女を取り巻く環境は、渦巻く運命に翻弄されている。
この短期間に、慌しいことこの上ない。





―――――――――腑に落ちないことがある。




一般市民として保護された彼女を、なぜ女衒が目を付けた?


最初は、記憶も寄る辺もない女というだけで目をつけられたのかと思った。
だが世情不安な世の中で、身を落とさずを得ない女は探そうとすれば必ず見つかる。


一般病院の、しかも総合病院くらいの大きな場所で、軍人の指示で収容された女。
そんないわくつきの彼女に目を付けたなんて、やはり不自然だ。









まさか、という考えが突然閃く。



「・・・・・青の団と、あの娼館、女衒・・・何か関係でもあるのか・・・?」





ひとりつぶやいて、きびすをかえす。
思い立ったらいても立ってもいられなかった。


この考えが正しければ、この居酒屋も彼女も大事になる可能性がある。
事件はまだ何も終わってない。






進もうとしたとき、背中を誰かに捕まれた。
反射的にのけぞって、振り返る。黒縁の眼鏡をかけたがいた。



「・・・・・きみ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」



何かを言おうとして何もいえない彼女が、訴えるように私を見上げていた。
強く真摯な瞳と、ほほを染めた白い顔。寄せられた眉と、言葉を形作るように震える唇。
はっとするほど生気に満ちた彼女に、目が吸い込まれる。


ほとんど無意識に、彼女の頬へ手を伸ばしていた。
軽く瞬いた彼女が、ようやく言葉を口にする。



「・・・・立ち去る姿を見つけて、追いかけてきてしまいました」



小さく、ひそやかに紡がれた言葉。
以外にも甘く凛々しく涼やかな声に、おもわず目を瞠る。



「・・・・・・私のこと、覚えてますか?」



Do You Remember Me?





その愛らしい言葉に、心臓が飛び出るほどの鼓動を感じた。



覚えている。
覚えているも何も、ここには君にあいにきたんだ。




恋人を想うような気持ちが、に素直に沸き起こるのは不自然で不思議なことだった。
出会ってからの時間は、あまりにも短くて浅いのに。

それなのに、一体どうしたんだろう?
いつものように美辞麗句も口説き文句も出てこない。



ただ黙っての顔を眺めて、その瞳をみつめた。
の瞳の色がゆらぎ、やわらかく微笑む。




自分でもおかしいと思うけど、どうやら本物らしい。
君に本気で会いたかった。
この気持ちに時間はきっと関係ないんだ。




「・・・・記憶は、何か取り戻せましたか」



その言葉が彼女への答えになったのだろう。
花開くようにが微笑んだ。



「記憶は、少しだけ戻りました」
「名前は?」


困ったように首を振る。
少し考えるように口を閉ざし、やがて困った顔のまま口を開いた。



「・・・・といいます」
「そう、か・・・・家族は?出身は?年齢や、職業は?」


矢継ぎ早に問いかける内容にしては、無作法極まりない。
こんなに不器用な口説き方なんか、人生で一度もしたことがない。



断片的な家族の風景を思い出したんだろうか。
結局確認してみると、ほとんどの記憶は取り戻せてはいないとわかった。



あの日、なぜあの場所に・・・どうやって現れたかさえ。




「・・・・・・あれ。大佐?」



後ろから、声がした。
振り返るとハボック少尉の姿がそこにある。



不思議そうに目を見開く彼と、怪訝そうな私の視線がぶつかる。




「ハボック少尉・・・職務中ではないのか?」
「大佐こそ。また中尉が困りますよ」



お互い『何故ここに?』という疑問を視線で交わす。




私の背中越しにの姿を認めたハボック少尉が、眉をひそめた。
何か頭の中を模索するような、思い出しているような顔。



愁眉を開くハボックが、「あ!」と声を発したと同時に顔を曇らせた。



「・・・・の探していた軍人・・・・?」



つぶやいたハボックの言葉に、彼女が素直に頷く。
意味がわからない私は、彼らの顔を交互に見る。



「まさか、大佐だったなんて・・・」
「何が・・・?」


力なくつぶやくハボックに問いかける。
言いたくなさそうにハボックが顔をしかめて口をつぐむ。




ああ、そうだ。そんな事より・・・・



「ハボック少尉。仕事だ。至急頼む」
「え?今ですか?俺、すぐ現場に戻らないといけないんですけど・・・」
「お前はこの居酒屋と顔なじみなんだろう?お前の隊から人員を裂き、店員全員を保護だ」
「この、居酒屋を、ですか?」
「私の許可が出るまで昼夜問わず、警護し続けろ。いいか」
「イエッサ」



疑問も何も口にせずに上官の命令には絶対服従。
軍隊の規律を骨の髄まで叩き込まれている現場上がりは、仕事に忠実で扱いやすい。



「大佐。店の営業は、どうしましょうか。休業させる必要は?」
「その必要は今のところない。・・・・・だが、調査の結果次第だな」



ハボック少尉が表情を引き締めた。
ふと視線を感じて彼女を見ると、不安そうに見上げている。



「念のためだからね。心配いらない」



それでも晴れない顔のまま。
が何かを言うより先に、すべるように言葉が出た。



「大丈夫。必ず守るから」



そう微笑みかける。
最初の出会いで、守りきれなかった。今度こそ必ず・・・



私の言葉に、安心したように笑いかけてくる彼女に、すまない気持ちでいっぱいになった。




彼女の報告は病院経由で聞いている。
記憶をなくして一番最初に出会ったのは、私だったという。



記憶のない混乱した状態で、初めて会った私にすがるように向けた心細げな顔。
それなのに、彼女が一番心細かったとき、私は守ってあげられなかった。


それどころか下手をすれば彼女の一生がめちゃくちゃになっていた。




そんな事情を知ってか知らずか。
ハボックは厳しい表情で立ち尽くしたまま。




彼の事情も、私は知らない。そんなこと今は関係ない。
ハボックの目的が間違いなくだとしても。




今度こそ間違えない。守ってみせる。





夜の帳が、ゆっくりと降りてきていた。