序章2 side roy






不思議な女だとロイは思った。


たったいま爆発させたばかりの居住区で、まったく怪我をしていない。
まるでどこからか、爆発した後の、その場所にポンと現われでもしたような。



無表情。言葉も感情を表す一切を何も発しない。
顔立ちは整っていて、華奢でたおやかな長い手足。
だからなおさら人形を連想したのに。



焔の錬金術師としてのキャリアは長く、経験も積んでいる。
あの爆発は、かなり大きく派手に発動させた。瓦礫の形跡からも、それは間違いない。
あの中で無事でいられるわけがない。

声をかけたのも、まさかという思いが強く、人かどうかも半信半疑だった。



それでも。

彼女の体を支えたときに、震えていることに気がついて
いい年なのに、そのギャップにときめいた自分は本気で可笑しい。
彼女の見上げた瞳がやけに大きくて、長いまつげが印象的だった。




名前を聞きたかったのに、保護した市民リストに記載するべき名前がないと言う。
正確には・・・・・名前を聞いても、首を横に振るばかりだった。





『思い出せないのか?』

担当者が、そう聞いたとき、ようやく首を縦に振った。

『どうしましょうか、大佐』
『名無しでは格好がつくまい。病院に収容して記憶が戻るのを待つにしても・・・』



こんなときにどうするかなどのマニュアルは存在しない。



『とりあえず、女性一名保護、と記載しておけ』

仕方なくそう指示を出して、彼女を病院に搬送した。



後始末や、市街地の整備など、もろもろの雑事に追われた。
それから何日も彼女に会えないまま。


でも、記憶のない女性が搬送されたなど珍しいに違いないから
すぐまた調べはつく。そうたかをくくっていた。





彼女を思い出すとき、真先に思い浮かべるのは印象的な大きな瞳。
ぬれたような長いまつげ。白い肌。


それは彼女が一般的に見て美人の類に属するということだが、
それだけなら、そんなに焦がれたりはしない。美人には慣れている。

きっと、彼女がどんな外見でも、関係ないような気がする。



今までどんな美人に出会っても感じなかった引力。
この世界に存在するどんなものにも感じなかった違和感。



だからこそ。
あれは運命の出会いだと思った。









「今日はこれであがる。あとは任せた」

中尉にそう告げると、金髪の副官が目礼した。

最近将軍のぶんの仕事まで引き受けていたから、仕事量がなおさら多く
そのぶん将軍の覚えがめでたくなるんだから結構なことだが
サボり癖はいつにもまして厳しく取り締まられ、抜け出す暇はどこにもなかった。



ぎりぎりのところまでケリをつけて、今日ようやく彼女に会える。






病院の場所は押さえておいた。
相変わらず名前が分からないまま、様子は一向に変わらないと聞いていた。


今日まで会わずにほうっておいたのは、運命を感じた相手だから
どんなふうにしても、必ずめぐり合うと根拠のない自信があった。それも確信に近く。













「――――――――――え?・・・それは、どういうことですか」

病院の受付で呆然と立ち尽くした。
今朝までは、確かにいたはずなのに・・・

「ですから、今日、退院されました」
「・・・・彼女、名前は?思い出したんですか?」


焦燥がにわかにおこる。
カウンターに置いた見舞いの花束が、ガサっと音を立てた。



「さあ・・・でも、お身内を名乗る方が引き取りにいらっしゃって。
 外傷は一切なかったので、そのまま手続きをされたようです」
「手続きをしたなら、名前の記載もあるでしょう!?」

食い下がると、受付嬢は能面のまま名簿を差し出してきた。
それは、引き取りにきた人物の名前と、彼女の名前の書かれているはずのもの。



「なんだこれは・・・・」

まるで意図的に崩したような汚い線。
ミミズがのたくったような、なんて書いてあるかも判然としない。
これでは読めない。いや、読めないように書いたとしか思えない。


「これで退院許可が下りたんですか」

悔しい思いで、奥歯を噛みしめる。
受付嬢は、そ知らぬ顔で名簿を引っ込めた。



「・・・・・責任者に会わせていただきたい」

受付嬢は能面のような顔に、初めて表情らしきものをみせた。
驚いた、という表情。
でもそれは一瞬で、すぐに電話に向かって責任者に取り次いだ。



「ええ、院長をお願いします。・・・・・・はい。マスタング大佐様がお見えで、
・・・・そうです。いかがいたしましょうか?・・・・わかりました」

受話器を置いて、やおら向き合うと簡潔に
「院長室へどうぞ」

それだけ言って、また手元に視線を戻した。
仕事をしたいから邪魔をするなとでも言いたいのか。もう視線も合わさない。



「尽力に感謝する」

簡単に言って受付を立ち去る。途端、意外そうに見上げる受付嬢の顔。
そのときにはもう、受付を後にして歩き出していたが。



「大佐様・・・あの、花束を・・・・」
「差し上げる。病院に飾るといい」


礼を言われたことが初めてかのように、いきなり親しみをこめて呼びかけられた。
用のなくなった花束。だから置いていったのだが、問いかけられたので簡潔に答える。

この受付嬢は愛想がないが、花束を喜ぶように頬を赤らめた。可愛げはある。




院長室はすぐに分かった。
他のどこのドアとも違ういかめしい扉にノックする。

「どうぞ」

促されて中に入る。
目の前に恰幅のいい男。白衣をダブルのベストの上に着込んでいた。
そのまま白衣を脱いでジャケットを着れば夜会にも行けそうだ。

多分、臨床にはほとんど携わらないんだろう。



「失礼します」
「これはこれは・・・わざわざマスタング大佐殿がお越し下さるとは」


大仰に両手を広げて迎え入れられる。
それがいつもの彼の癖なのか、やましいことがあるからなのか。胸騒ぎがした。


「院長、先日のテロで運ばれた女性ですが、今朝までは確かにいたのに今日退院とは」
「そのことですが」


言葉をさえぎって院長が重々しい咳をする。
言いにくいことをいうかのような・・・


「実は、私どもの落ち度とは思わないで欲しいのですが」
「何をです?どこの誰とも分からない人間が保護者面して現れたことですか。
それとも、そんな人間にのこのこ患者を引き渡したことですか」


思わずそういってしまってから、失敗した、と思った。

院長は正直に言おうとしていた。
それを頭ごなしの剣幕で責めたら、院長の口は重くなるばかりだ。



案の定、院長は難しい顔をして黙り込んでしまった。



『あれは確かに親子です』
『死んだと思った娘を目の前に、感動して手が震えて、字が書けなかったんでしょう』

そんなふうに、病院の安全と自らの保身のために院長が言い出したら・・・
引っ込みがつかなくなった院長はその言葉を押し通し、真実は永久に分からなくなる。





「・・・・・申し訳ない。最善を尽くした院長や病院に非があるはずはない。
 病院の落ち度などと、だれが思うでしょうか。院長は、正直で誠実な方だ」

そう言ってみせると、院長が同情したように眉を寄せた。



「実は・・・・非常に申し上げにくいのですが・・・
 肉親を名乗る人物は、どうやら裏の人間のようでして」


驚きで顔を上げる。
苦渋に満ちた表情の院長がいた。


「・・・・・それは、どういうことでしょう」
「いわゆる、・・・・・・・私娼街で活躍する連中とでもいいましょうか。
 彼らが立ち去った後に、そんな事を言うものがおりまして」
「なんですって・・・・」
「証拠は何もないんです。だから違うかもしれない。でももしそうなら、
・・・・・・薬漬けにされて売られてしまうという噂も耳にしますから・・・・」


記憶も寄る辺もないらしい女が、何日も病院にいた。
ただそれだけの情報で目をつけられたらしい。

名前も何もないなら痕跡を残さず連れ去ることなど簡単にできる。




顔面が蒼白になったのが自分で分かった。
呼吸がうまくできない。吐き気がする。




「大佐、大丈夫ですか」


院長の声が遠くで聞こえる。
頷いて、額を手で押さえる。そのまま礼をして退出した。
急ぎ足で病院を出る。

かろうじて、倒れるような無様はみせずにすんだ。
そのまま色街へ走り出す。


一刻を争う。早く助けなければ・・・・







なぜたった一回あっただけの女性に、ここまで振り回されるのか
自分でも理由は分からなかった。運命を感じたから?




助けた女が、みすみす不幸になるのを見過ごせないだけだ。そうに違いない。
誰だって、きっと同じ事をする・・・・・



そう思って、納得させた。
息を切らして、肌を見せて男を誘惑する女達の間をすり抜ける。




「おや。見ない顔の旦那?軍服の軍人なんて、ここでは珍しいですな」

酒に酔った小男が近寄ってくる。
この場所を熟知したような口調に、思わず我を忘れた。

男の襟首を掴んで裏路地に引っ張り込む。
壁に乱暴に押し付けると、のど元を閉められた男は軽い悲鳴を上げた。


「ひゅ・・・・くる、しいで、すよ・・・・だんな」
「今日、新しい女が色街に来なかったか!?」
「は・・・何の、ことやら」
「質問に答えろ!!」


男は剣幕に目を白黒させながら、酒瓶を取り落とした。
ガシャン、と割れる音がして、液体が飛び散る。


「知りませんよ!!そんな女はしょっちゅう来るし、行方不明もごまんといますよ!
 なんせ世情不安なんだから・・・本当ですよ、勘弁してくださいよ旦那ぁ!」

手を離すと、げほげほと呼吸を荒げて、男がへたり込む。
その様子にはっとして、少し正気を取り戻す。
どれだけ平常心を失っていたかを知って、自分が信じられなかった。


「えらいこって・・・旦那。誰か知り合いでも?」
「ああ・・・」

男は幾分同情を含んだ目を向けて、げほげほと咳き込む。


「気の毒に・・・でも、探すのは無理ですよ。あきらめたほうがいい。
 運がなかったんですよ。ここは、そういう所ですからね・・・いい女、紹介しましょか?」



呆然として、ただ首を横に振った。
運命の予感などに胡坐をかかずに、ちゃんとつかまえておくべきだった。
後悔が胸を襲う。

一軒一軒の店に殴りこみ、彼女を探したかった。
本気でそうしようかと顔を上げると、その決意を見て取った小男が制止する。



「探すつもりなら、おやめなさい。本当に、たとえ軍のお偉いさんでもね。
 どうにかできる街じゃないんですから・・・・」


無言で睨みつけると、降参したように下を向いて首を振る。
さじを投げたような態度。この男は、これ以上関わることはないだろう。


その予想に反して、男の口から意外な言葉が飛び出した。

「その顔。あきらめてないですね。仕方ない・・・
分かりましたよ・・・・この私が、協力しましょう」
「本当か・・・・?」



驚いたように見つめると、男はにやりと笑って
「情報を得るには金がいるんですがね、旦那・・・・」


全部が言い終わらないうちに、襟首を掴んでにらみつけた。
男は、苦しそうにあえぎながら、手で必死に抵抗する。


「旦那・・・ちょっと、短気はよしましょ・・・」
「まず有益な情報を得られると確証を得たら、相応の金はやる。
うそはつくなよ、見破るのは上手いんだ。口を割る方法はいくらでも知っている」
「は・・・軍相手に、んなバカなこと・・・・・するもんですか・・・」



手を離す。咳き込みながら愛想笑いをする姿がたくましい。

「まかせてくださいよ・・・・お互い損のない取引にしましょうや」