序章6
目が覚めると、いつも日課のように散歩をした。
なんとなく朝早くなら、悪い人も外を歩かないような気がしたから。
ココに来てからずっと、現実感がわかなかった。
誰にどんな目に合わされそうになっても、どこか夢の世界のような気がして
よっぽどの衝撃がない限り、いつもぼーっとしていたように思う。
居酒屋で立ち働くときも、どんなに忙しいときでも、
そのときは忘れてても、ふとした瞬間に感じる、この世界への違和感。
だから、余計に会いたかった。
名前も知らない、ここで初めて会った、青い軍服のオトコノヒト。
街を歩けば、同じところにいるのなら、すれ違うこともあるんじゃないかと
小さな希望を抱いて、さまよい街を歩いた。
もしもう一度会えたら、この妙な感覚から少しでも抜け出せるんじゃないかって
それこそ都合のいい夢かもしれないけど・・・
でも男の子の格好をして、髪の毛も切り、黒縁眼鏡をかけたキャスケットの姿では
すれ違っても、向こうはきっと気付かないだろうな。
病院にいる間も、一度も姿を見せなかったくらいだから・・・
出会い自体、忘れている可能性も高い。
石畳を歩く。
ここの周辺にも、けっこう詳しくなってきた。
時計塔のある大通りから、脇道を走る細い街路。
ここから少しいくと、大きな建物が増えてくる。
「おや、また来たの。最近よくここを通るね」
果物の屋台の売り子さんに声をかけられた。
でも、まだ言葉は緊張して出ない。かわりににっこり笑ってお辞儀する。
居酒屋の一家には、少しずつ声を出せるようになってきたけど
必要なときさえ声を出せない私は、ほとんどの人から話せない子だと思われているみたい。
市街地を適当に進む。
いつも違う道を行くから、いつも違う景色を見ることができる。
遠くに見える大きな建物が、いつも気になっていた。
地理が分かるまでは近づくのをためらっていたけど
今日はそこまで行ってみようと心に決めていた。
なんの建物だろう・・・・
間近でみると階段が連なる高い施設。
入口を探そうと、足を進めると、目の前に大きな影が立ちふさがった。
見上げると、青い軍服。
「君、何をしている。用のないものの立ち入りは禁止だぞ」
青い軍服!!
とりあえずそれに驚いて目を見開く私に、影の男はいかめしい顔のまま言葉を続ける。
「東方司令部に何か用か?」
そう尋ねられて、とっさに思い浮かぶ黒髪の人。
どうしよう・・・・
でも名前も何も知らない男の人を探しに来たといっても、通してもらえるわけはない。
東方司令部・・・・ここって東なんだ。司令部って、軍の施設ってことね。
生真面目な顔をしたまま見つめてくる門前の軍人に
首を振って用のないことを示すと、きびすをかえした。
今日はいつもより遠出になった。
はやく戻らないと、居酒屋の人たちが心配してるかもしれない・・・
すこし小走りに帰路についた。
近道をしようと、狭い路地へ入ったところで腕をいきなりつかまれる。
そのまま更に奥の細い裏道に引きずり込まれた。
例のごとく、声を出して助けを呼ぼうにも、驚くとのどが塞がる。声が出ない。
とりあえずビックリして、引きずり込んだ人間の顔を見る。
誰かを認識した途端、怖さのあまり体が硬直した。
恐ろしい形相をした男は、病院に私を迎えに来て売ろうとした売人。
「やっぱりお前か!髪型変えて変装しても無駄だ。・・・その容姿。
そうないほどの上玉だからな。逃げ切れるわけがない!」
いきりたつほど饒舌になるのか、男は私を壁に押し付けて、掴む腕に力をこめる。
いたい・・・・
怖くて声も出せずに、震えて抗うこともできない。
居酒屋で働く姿から目をつけられていたんだろうか。
おばさんたちに、迷惑になったらどうしよう。
「いいか!お前が生娘のままであそこに連れてったのはな、急ぎの事情があったからだ!
でなきゃとっくに俺たちが味見してるさ・・・・それが仕事だからな!」
壁に乱暴に打ち付けられて、喉の奥から小さく悲鳴が洩れた。
それが逆に男の優越感に火をつけたようで、
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、上から見下ろしてくる。
「フン、口がきけないと思ってたら、けっこういい声がでるんじゃねえか。
いまから、俺が相手してやってもいいんだぜ・・・」
いやらしい笑みを浮かべて、舌なめずりする男。
体を拘束する手を緩めることなく、密着してくる。
いやだ・・・・気持ち悪い・・・・誰か・・・
体が震えて涙が浮かぶ。
悲鳴を上げたいのに、相変わらず喉は詰まって言葉にならない。
荒い息と、男の唇が近づいてくる。荒々しく胸元をわしづかみされて鳥肌がたつ。
めいっぱい壁に逃げて、でも逃げ切れない。
やだ!やだ誰か!!・・・・助けて
「男の子に手を出す趣味ってどうかと思うんだけど?」
拘束していた男が手を止めて、声の主を振り返る。
男の体越しに見えた声の主は、青い軍服・・・・
「・・・軍人には関係のない話でしょう。人の趣味に口をださんで下さい」
のそりと男が言う。邪魔をされて不機嫌そうだ。
「そういうわけにはいかない。その子は知ってる子なんだ」
そうだったっけ!?
驚いて彼を見ると、全然知らない金髪の長身。
タバコをくわえてこちらをじっと見ている。
驚いたらしい男は拘束をといて、金髪に向き直る。
「知ってる!?まさか・・・そんなでたらめを」
「俺が居酒屋に預けた。軍の保護下にあるから、手をだしたら承知しない。
俺はジャン・ハボック少尉だ。身分の問い合わせなら東方司令部に行け」
男は悔しそうに、怒りをあらわにした形相で睨みつけると、
そのまま何もできずに立ち去ってしまった。
取り残された私と金髪の軍人。
どっと安堵して、体の力が抜けた。
「おっと・・・大丈夫か」
金髪の青年が支えてくれる。
でも腕を掴まれただけでは支えきれなくて、結局壁を擦るように地べたに座り込んだ。
「細い腕だな・・・ちゃんと食べてでかくならないと、また変態男につかまるぞ」
隣にしゃがみこんで、金髪の彼がタバコの煙を吐き出す。
改めてじっと顔を見ると、やっぱり見覚えはない。
でも正直、そんなことはどうでもいいくらい、気持ちに余裕なんかなかった。
なぜ?どこで事情をしったんだろう?
どうして助けてくれたんだろう・・・
「不思議そうな顔してるなあ。無理もないか、知らないんだろ俺のこと」
にかっと笑うと、愛嬌がある。人好きのする笑顔。
なんとなくほっとして、その言葉に頷いた。
「居酒屋。ピアノ弾いてたろ?俺そこにいたんだ、偶然。
あの時のおかみさんが普通じゃなかったから、こっそり裏まで行って話を聞いて。
で、事情を知った。内緒にするって約束したんだけど、まさかこんな役にたつとはね」
でも、私が女だって事は聞いてなかったんだろうか?
最初から男の子扱いで、売人のことも変態って言うってことは、それしか考えられない。
「歩けそうか?送ってやる」
こくんと頷いて、立ち上がる。
まだ膝は震えているけど、いつまでもこの場所にいたくなかった。
歩き出すと、隣を一緒に歩いてくれる。
青い軍服の人に助けられたのは、二度目だ・・・
見上げると、見下ろしてくる青い瞳。
その瞳が私を見て、気恥ずかしそうに目をそらした。
心なしか、顔を赤らめている。
見つめすぎたかな・・・
ちょっとあせって視線を前に戻す。
失礼をしたんだろうか?
「・・・・やばいなあ。俺、その気はないんだけど・・・野郎が惑わされたのも分かる。
その、誰かをじっとみるの、癖ならやめたほうがいい。惚れられるぞ」
驚いて見上げると、青い視線が困ったように揺らいだ。
「だから!それはよくないって。・・・まだじっと見てるし・・・」
あわてて視線を前に戻す。
「俺は、ジャン・ハボック少尉。君は・・・えっと、・だっけ?
声が出ないから、裏方中心に仕事をさせてるって、おかみさんが言ってたな」
こくんと頷く。言葉を掛けられると、反射的に顔を向けてしまう。
そのたびに、ハボックは顔を赤らめて困ったように視線をそらした。
「・・・・なんか女の子みたいな名前だな。
また居酒屋に行くから、今度ピアノ聞かせてくれよ」
あの時以来忙しくて行けてないから、とハボックが言う。
時々見せる、人好きのする愛嬌のある笑顔。
この人はいい人だと、なんとなく思った。
居酒屋に辿り着いて、裏口の前で立ち止まる。
向き合うと、照れたような顔を赤くしたままハボックが笑いかけてきた。
「じゃあ、またな」
そのまま立ち去ろうとする彼の軍服を掴んで、引き止める。
この人には、ちゃんと言わなきゃ・・・
じっとみつめたまま、しばらく言葉が出ない私に
最初は驚いたように顔を赤くしていたハボックが、そのうち怪訝そうに首を傾げる。
「どうした?」
姿勢を低くして様子を伺うハボックがようやく聞こえるくらいの声で
まっすぐ目をみつめて、笑顔で、ようやく言った。
「・・・・・・ありがとう」
ささやく声が届いた。ハボックが驚いたように目を見開いて、今までで一番顔を赤らめた。
「え・・・・声・・・・ええ!?」
それ以上は何も言えずに、裏口に駆け込んだ。
おばさんのところへまっすぐ向かった。
今日のことを、どう報告したらいいのか・・・うまくできるか分からなかったけど
きっともうあの怖い売人はここには来ない。目の前にも現れない。
そう思ったら、飛び上がりたいくらい嬉しかった。
