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桜のつぼみはまだだけど、梅は遅咲きの白も満開で春の到来を予感する。
だんだん過ごしやすくなる。冷え性の私には幸せな季節。
ただひとつ・・・・花粉症がなければ・・・・



出勤すると、いつものようにハボック少尉が寄ってくる。
朝の挨拶をすませた途端に、私の様子を見て首を傾げる。

大尉って花粉症でしたっけ?」
「鼻水でないから分かりにくいけど、目ものども耳も鼻も、かゆくて仕方ないのよ」
「うわ。えんがちょ」
「・・・・・・・・ばか?」
「ひでぇ」


ひどいのはどっちだ。花粉症は辛いんだぞ。
ハボック少尉は気にしない様子で、私に手を差し出してくる。
手の中には封筒。にこにこと差し出されて、少尉の顔と手を交互に見る。


「なあに?この封筒・・・・仕事?何か頼んでたっけ?」
「ふふん。ホワイトデーのお返しですよ。俺ってばいい奴でしょ?」
「あ、そういえば今日だ。いいこいいこ。ちゃんと覚えてたのね」

受け取ろうと手を伸ばすと、すっと上に持ち上げられる封筒。
まるで小学生のいじわるみたい。


「くれないの?」

きょとんとして見上げると、ハボック少尉と目が合う。
空色の瞳が揺れて、そらされる。やっぱり意地悪してる?


「・・・・・これ、大尉が行きたがってたから」


ハボック少尉が、手の中の封筒を開く。
中から取り出したのは――――――――――――――――――


「嘘!これ、高かったでしょ!?」


セントラルフィルが東部で行う演奏会のチケット。しかも、特別席。
二階にある仕切られたスイートルーム。これが備わっている会場は東部でたったひとつ。


目を丸くする私に、少尉は何の感情も読み取れない顔で、口の端だけ笑っている。
まるで私の様子を観察しているよう。


「・・・・行きますか?」
「行きたい!!」
「じゃあ決まりです。仕事が終わったら声かけてくださいね」
「はぇ・・・・・?」

はい、とええ?が一緒になって、なんとも気の抜けた返事をしてしまった。
ハボック少尉が、それを笑う。


「ちょっと今笑ったでしょ」
「笑いますよ、そりゃ。おもしろいもん」
「面白いって・・・ねぇ。デートに誘っといて言う台詞?」


ちょっと驚いたようなハボック少尉の顔。


「ふーん・・・デートって自覚あンですか?」
「あるんですかって・・・・違うなら違うでいいわよ」
「違わなくてもいいですけど、違ってもいいですよ」
「・・・・・・・なんだか混乱してきた」
「俺もです。とりあえずコンサートはオッケーでいいですよね?じゃ、帰りにまた」
「・・・・・・ん?・・・って、ちょっとまって」



声をかけたときには、もう目の前にハボック少尉はいなかった。
どうしよう・・・・大佐は最近、ハボック少尉がからむと穏やかじゃなくなるのに・・・


チケットを用意するのは、本当に大変だったろうと思う。
時間的にも忙しい身で、しかも階級は少尉。お給料だってきっと、私より下なのに。
その気持ちを無下にするのは忍びない。でも・・・・・でも、やっぱりダメ。






「・・・・・・・で?今日はホワイトデーなのに、ハボックとデートすると?」



演奏会の話を聞いた大佐は、そうとう面白くなさそうな顔をしている。


「君はいったい誰と付き合ってるんだ?恋人は誰だ?」
「あなたです、ロイ・マスタング大佐ですってば・・・・ね。お願いだから、怒らないで」


お願いすると、頭を抱えるようにため息を漏らす大佐。
許してはくれたらしいけど、腹の虫はおさまらないみたい。



「・・・・・行かせたくはないな」
「弟分なの。特別な気持ちなんかないわ・・・・私のこと、信用してくれる?」
「信用してる。でも、それとこれとは別問題だ。君は鈍いからね」
「失礼ね。ねぇ・・・・・・断るならどうしたらいい?少尉を傷つけたくない」


そう言うと、きょとんとしたように大佐が目を開く。


「・・・・断るのか?」
「だって、ロイが面白くないでしょう?
 私も、お付き合いしてる人がいるのに他の男の人と二人で出かけるなんて・・・・」
「・・・・・・君は本当に真面目だな」
「そうよ。安心した?」



不安そうに覗き込むと、大佐は今日初めての笑顔をようやくみせてくれた。
ほっとする。やっぱり怒らせたままは嫌。


「・・・行きたい気持ちもあるんだね?」
「それは正直に言えば、行きたい気持ちもあるわ。でも、優先順位はロイだもの。
 ただ・・・・断ったら少尉が傷つくでしょ?可愛い弟分と気まずくなるのも嫌なの」


大佐には正直に打ち明けてしまったほうがいい。
取り繕ってもどうせ見破られてしまうんだから。



「私が行っていいといえば、心置きなくいけるよ」
「それはないわ。お許しが出ても、きっと気にする。だから迷ってるのよ」


迷ってると言葉で言っても、本当の心は決まってる。
大佐を置いてまで受けたい約束じゃない。
ハボック少尉は大事だけど、一番大事なのは大佐だから。



「・・・・・・・・いつまでも弟分で甘んじている腑抜けた奴だと思ってたが」
「やめて。ハボック少尉は・・・・・・」


かばうように口を開いて、言葉を止める。
思い至ることに目を見開いて黙ってしまった私を、大佐が不思議そうに眺める。



「どうした?私の考えを認めたのか?」
「違うわ・・・・・・違うけど・・・」


自信なく言葉をすぼませる。
ハボック少尉は、私と大佐の秘密の付き合いを知ってると思うふしがあった。
今日のこの日に、わざわざデートに誘うなんて不自然。


本当は、知らなかった・・・?ううん。そんなはずない。
私と親しくすると大佐がいじめるって言って、だからばれるんだってこぼしてたもの。



固い金髪、空色の瞳、ひとなつこい仕草。タバコのにおい、見上げるくらい高い背。
けっこうもてるのに、誰とも付き合わないで、私の側でじゃれてくる。
理由は・・・・・・私?


いきなりカワイイ弟分が、急に男の人みたいに思えた。私は困って顔をうつむける。





これは、まずい。意識してしまったら、大佐の言葉を認めるみたいで・・・・
今までみたく言葉を交わせなくなりそう。



―――――――――だめだめ。それは違う。そんな考え、違う。



少尉自身からは、まだ何も言われてない。




「私、ちょっと少尉と話してくる!」




がばっと顔を上げて、決意に満ちた表情で言うと、大佐が驚いたように私をみつめた。


「話してくるって・・・・何を言うつもりだ?」
「ロイと付き合ってるって、正直に言ってみるわ」


目を見開く大佐を置いて、執務室を出て行く。

本当は、社内恋愛は秘密が礼儀だと思って、自分から誰かに言うことはなかった。
たとえバレバレだとしても・・・・知らない振りをして、流していた。

ファルマン准尉もリザにもハボック少尉にも。
ブレダ少尉やフェリー曹長も、本当はきっと知ってる。

みんな黙って見守ってくれてるの、私も知ってた。






「ハボック少尉は!?」

オフィスに飛び込むと、少尉はいない。


「ハボックならたったいま現場に向かいましたけど・・・」
「ありがとう」

ブレダ少尉が、書類から目を離して答えてくれた。
それにお礼を言ってオフィスを出る。


走ると、出入り口付近でハボック少尉の背中を見つけた。
憲兵や下士官と並んで歩いてる。


「ハボック少尉!!」


声をかけると、驚いたように振り向く彼の姿。
その顔に、どきんとしたのはときめいたからじゃない。

気付いてしまったから・・・あの瞳の訴える眼差しに、何で今まで気付かなかったんだろう。


大佐が正しかったの?でも、そんなこと認めたくない。
今までの関係で、十分楽しかったのに・・・



「大尉、どうしたんですか?」
「・・・・・話、あるの。少しだけいいかしら」


息切れしながらも落ち着いて話そうとする私に、ハボック少尉が頷く。
下士官たちに先に行くように促すと、私のほうへ歩いてきてくれた。


「そんなに急いでどうしたんですか?急ぎのようですか?」
「・・・・・・ねぇ、ハボック少尉は、私が好きなの?」

周りに誰もいなくなったのを確認して話を切り出す。
単刀直入の言葉に、ハボック少尉が顔をこわばらせた。

「・・・・いきなりすごいこと言いますね」
「違うならいいの。笑ってくれても構わないから」
「笑えませんよ・・・・・どうしたんですか、いきなり」


ハボック少尉を見上げるとき、大佐を見上げるより少し首の角度が違う。
やっぱり背が高い。そんなことを考えながら、少尉の空色の瞳をじっとみつめる。

いままで弟みたいな気持ちで側にいたときは、そんなふうに考えて見上げたことなかった。


「ふうん・・・・そういうふうに、男を見つめる瞳って初めてですね」


少尉が挑むように冷ややかにつぶやく。
そんな言葉も物言いも初めてで、戸惑った私は眉を寄せる。


「なんか気分いいです。大尉に一人の男として扱われたこと、なかったですもんね」
「ハボック少尉・・・・?」

壁に寄せられる。少尉がとても近い。今までみたことない冷たい笑み。
気付いたら、少尉と、彼が壁に伸ばす腕の間に、私がいた。



「俺が大尉を好きなら、どうしてくれるって言うんですか?付き合ってくれるんですか?
 いつもみたいに、弟をあやすように無邪気に誤魔化されるのは嫌ですよ」
「付き合えないわ。・・・・・・・私、好きな人がいるもの。大佐が好きなの」



ハボック少尉の腕の隙間から、見下ろしてくる少尉の強い視線を見返して、言った。
ひるむほどの視線に負けじと見返すのは、すこし気持ちを強くもたないといけなかった。
腕の中の距離は近くて、まるで拘束されているような気がする。



じっと動かないハボック少尉の瞳が、揺らぐことなく私に向けられている。
それをしっかりと見返して、負けないように自分を奮い立たせる。



「・・・・・付き合ってるんですか?」


その言葉に、こくんと頷く。




「大佐といて、幸せですか?」


ふわり、気持ちの中に何か温かいものが舞い降りた気がした。
大佐のことを想うとき、誰にも感じることのないきらきらした気持ちがわきあがる。
それが、少尉の問いに対する何よりの答え。

頷くより先に、私の表情でハボック少尉は悟ったようだった。
ふっと、いつのまにか、いつもの笑顔で私を見てる。



大尉・・・・ようやく認めましたね」



いたずらっぽく言う少尉。私は目が点になる。
さっきまでのオトコノヒトを感じさせる少尉はどこにもいない。
いつもの、弟みたいな茶目っ気たっぷりの少尉がそこにいる。



「え・・・・・・・・?・・・・・・ええ!?あれ?」
「だって、いつもいつも認めないから。逆に意地悪したんですよ」
「えええ!?え、ってことは!?・・・・ええ?」
「これで大佐と大尉は公認の仲ですね」
「え!?ダメ!お願い、少尉。内緒にして?」
「・・・・・今更」
「今更でも!知ってるわ。皆が気付いてても黙って見守ってくれてるの」


ハボック少尉がきょとんと目を見開く。
じゃあなんで?とでもいいたげな瞳。


「それでも、仕事は仕事なの。公私混同はしちゃいけない」
「公認にするのと、周知の事実なのに秘密にするのは、何か違うんですか?」


きょとんとしたまま、相変わらずハボック少尉は不思議そうに私を見ている。
どうしてわからないのかな?もどかしい気持ちで説明する。


「全然違うわ。周知でも秘密なら、周りは知らない振りしていればすむこともある。
 でも、公認になったら、周りも気を使わなきゃいけないことが増えてくるのよ」
「そんなもんですかねぇ・・・・」
「そうよ。だから社会人として社内恋愛は秘密にするのが礼儀なの!
 婚約したなら別だけど、私と大佐はまだ何の約束もないんだもの」



ハボック少尉が珍しいものを見るみたいに私を見る。


大尉って、お嬢様でしたっけ・・・?」
「え・・・・?」
「考え方、古くないですか?」
「え?・・・・そうかしら?」



そんな言われ方すると、まるで自分の考えが間違ってるような気がしてしまう。
でも、これってみんなの常識だと思ってた。皆はどう考えてるの?



「職場恋愛が秘密なのは、恋人同士が盛り上がるためかと思ってました」
「盛り上がるの?どうやって?」


今度は私がきょとんとする番。
少尉はそんな私を見て、まるでカワイイ妹でも見るみたいに顔をほころばせた。
これって・・・いつもと形勢逆転?


「いいですよ。大尉はそのままでいてください」
「もう・・・。とにかく、表立って秘密を打ち明けたのは少尉が初めてなんだから。
 ちゃんと秘密にしてね。表面上のことでいいのよ」
「はいはい。わかってますよ」



くすくす笑う少尉に、なんだか気が抜けてしまった。



「じゃあ私、もう行くわ。ひきとめてごめんなさい」
「行くって、大佐のとこですか?・・・・今執務室に行ってもいないと思いますよ」


あれ?そうなの?さっきまでいたのに・・・・


「出る用事があるはずですから。すぐ戻るんでしょうけどね」
「そうなの?やっぱり直属の部下だとよく知ってるのね、大佐の予定」


ハボック少尉が苦笑して、封筒を取り出す。演奏会のチケット。
すっと目の前に差し出されて、その存在の意味を確かめきたことを思い出す。


「少尉・・・これって」
「大佐からです。頼まれてたんで」
「そうなの!?」
「忙しくて自分じゃ行けないからって、公私混同ですよね。
 あんまりなんで、大尉に意地悪したんですよ。大佐にはおっかなくてできないから」



目を丸くする。大佐はそんなそぶり、全然見せなかったのに・・・
私、試されたのかしら?でも大佐にそんなふうに試されたことはない。



「意地悪したって・・・私も一応上官なのよ?」
「すんません。大尉なら許してくれますよね?」


ハボック少尉は、にっこり笑って悪びれずに封筒を私の手に握らせる。


「・・・・・・・・・ありがとう」
「どういたしまして」



そうして立ち去る私は、そのあとこの場所で起こったことを、知らないまま。